CAN'T SLEEP WITH NO SWEET
by スギオメル


ちこめる雪空。

 襟を立て、俯き加減に家路を急ぐ人々。
 街は今日も至って平和だ。頬杖ついて眺める光景はどうってことないルーティンそのものでも、彼らにとってはかけがえのない重要な意味を織りなしている、筈。
 少なくとも僕以外には。

 「ボォーッブ? 呼び出しといて無視とはたいした歓迎ぶりねぇ?」

 早口の金切り声へ向けば、そこにはグッチのパンツスーツに身を包むサラ。

 「…だって僕はキャロルと待ち合わせてるんだけど…」
 「うるさいわね、臨月の妊婦がD.C.からはるばるグリニッジヴィレッジくんだりまで来るわけないでしょ? それぐらい考えなさいな。あいかわらず浅はかな子ねぇ」

とまくしたててから、サラは許可など論外とばかりにさっさと僕の前へ座る。濃いサングラスは外す気もなく、バッグを探ってからヴァージニアスリムを取り出し火を点けた。
 土地柄とはいえ、スーパーモデルばりの美人のサラは十分人目を惹く。ギャラリーが選挙事務所職員である彼女の意外なキャリアを知れば、もっと驚くことだろう。

 「…サラ…代打は嬉しいんだけど、仮にも君みたいなホームランバッターを起用するなんておこがましいってゆうか…」
 「お望みならスクイズだって犠牲フライだってできるわよ。ブレンダンがどうしたっていうの? 下手な小細工でごまかしてないでとっとと吐いたらどう? それとも時間外手当でも支給してくれるのかしら?」
 「わかったよ、サラ。ごめん…エスプレッソで良かったよね?」

 僕は観念しきってウェイターに合図する。注文を聞いて去っていく彼を確認すると、サラはようやくサングラスを外した。苛立っている口調の割に優しげな目で、僕は少し拍子抜けした。ほどなく彼女の含み笑いが始まる。

 「あの……サラ?」
 「…イヤぁねぇ、ボブったら…そんなビクビクしないでよ。まるで堅物の舎監ばばぁにでもなった気分だわ」
 「……それより怖いって…」
 「なんですって?!」
 「あぁ、いや、なんでも…」

 ちょうどウェイターが注文品を運んできたので、その場は何とかごまかすことはできた。
 十中八九俳優のタマゴらしい彼に、とびっきりの笑顔で会釈するのを忘れないサラ。でも彼の右耳にぶらさがるイアリングを見て、サッと顔色を変える。

 「サラ、何もそんなあからさまに損したって顔しなくたって…」
 「とんでもない損害だわ。笑顔は女の皺に大敵なの。メイ・ウェストってサイレントの女優はそのせいでカメラの前でも絶対笑わなかったのよ。知ってるでしょ?」
 「そんな大昔の人引き合いに出されても…」
 「あっきれた! 曲がりなりにも同じ業界にいるんだからそれぐらいおさえときなさいよ。大株主の爺さまに取り入るには昔話がもってこいなんだから」

 そんな偉い人達とお近づきになるのはまだ先の話だって、とは言わずにおいて、僕は自分のレモネードを飲み干した。
 彼女がたった今披露したちょっとした知恵こそ、日々の生活が導いたもの。選挙事務所ってところは、どういうわけかすごく若いやつかすごく年取ったやつしかいない。

 サラみたいなタイプはごく稀。本院の椅子欲しさに血眼になっている代議士候補達は、日常の悪食が祟ってときどきどうしようもない趣味の悪さを発揮する。
 例えば、モニカみたいな娘がジェニファー・ラヴ・ヒューイットに見えたりする、とか。

 「ところでブレンダンとはどうなの? 何か問題?」

 ほ〜らおいでなすった。

 「あ〜、そのことだけど…キャロルが来るって思ったものだから……」
 「いい、ボブ? 自由の女神やブルックリンブリッジは百年も前からここにあって何も変わっちゃいないけど、止まらない時間なんてないの。いつまでも私がブレンダンとのことを気にしてると思うなんて、また随分安く見積もられたもんね」
 「そんなつもりは…」
 「わかってるから早く要件おっしゃい。今夜はこのあと夜行でクリーブランドの事務所へ行かなくちゃならないんだから」

 オールドミスの風紀課教師だってもう少し言いようってもんがあるだろうに。とはいえサラに悪意はない。気は進まないけれど、一応僕は『要件』を話してみた。
 相談で解決されるなんて都合良く考えてるわけじゃないし、おめでたくもない。ただ僕は誰かに聞いて欲しかった。窒息しそうな程膨張した、愛の生活、ってやつを。ぷぷっ。

 「…つまり、『毎晩夫が求め過ぎて困っています。生活が安定するまで子供は持たない予定ですが、以前コンドームを付けてと言ったら裏切られたような顔をされたので頼むのも気がひけて…なんとか夫を傷つけずに断る良い方法はないものでしょうか?』とこう言いたいわけね?」
 「……どうやったらまたそんな曲解ができるんだ?」
 「じゃあこれはどう? 『何か特殊な病気の兆候でしょうか? あの若さで成人病だなんて。特に心疾患が心配です。行為の最中に心臓発作がおきて、救急救命士に夫の下から助け出されるのだけは避けたいのですが…』」
 「サ〜ラ〜…僕をイジめてそんなに楽しい?」
 「えぇ、とっても」

 開いた口が塞がらない選手権でもあったら、この時の僕はまさしく敵なしだった。

 「バカね、冗談に決まってるでしょ。相変わらずからかい甲斐あるったら」

 脱力選手権が…えぇい、もういい加減にしろったら!
 派手にテーブルに突っ伏すと、上からサラのコロコロ笑う声が降ってくる。間違いなく僕はオモチャだ。くそっ!

 「君に助言を求めようとした僕が悪かったよ、サラ。今日はわざわざ足を運んでくれてありがと…」

 肩を落とした僕を見て、サラは鹿爪らしい顔をした。カップの摘みを二、三度擦ってから、そっと口元へ持ち上げる。自然に小指が美しい曲線を描く。隣りの指に細いプラチナリングが見えた。

 「安物よ」

 注視に気づいてサラは言う。

 「議員秘書のそのまた秘書ですもの。ボランティアより少しはまし、って程度ね」

 僕はおめでとうを言うために顔を上げる。でも、またも彼女に先を越されてしまった。

 「もっとイジめて欲しいんなら最後まで言わせてあげてもいいわよ」

 コングロマリットがどうしたとかそれはもう無意味な取り繕いをする僕へ、サラは微笑む。疲れた。あと10分もこんな会話を続けたら、間違いなくあの世へ行ける。

 「ボブ、今度は私が聞いてもいい?」
 「え〜〜?!」

 しまった! 思った時にはもう遅く、条件反射で顰めっ面をしてしまう僕。

 「いや、その…何でも聞いて…うん…」

 眼を剥くサラに逆らえるわけもない。彼女もいつかヒラリーやオルブライトみたいになるんだろうか?…その想像はあまりに意外じゃなさすぎて、一つも面白くなかったけれど。

 「あなたどうしてそんな敗残者みたいな顔してるわけ?」

 …ダナ・スカリーより迫力ある尋問だ。尤もジリアンにある迫力っていったら、ジャーマン仕込みの巻き舌ぐらいなもんだが。

 「いやこれは単に寝不足ってだけで…」
 「そうじゃないわ。私の前でそんな顔させないわよ。最終的にブレンダンに選ばせたあなたにはね」

 忘れていたわけじゃない。サラもずっとブレンダンを好きだった。もしかすると、女性ってことでより切実だったのかも。

 「勝者っていうのは無意識に傲慢を演ずるものだけど、よく聞きなさい、ボブ。より愛した方が敗け、これは恋愛の鉄則なのよ」
 「どっかで聞いたことあるなぁ…」
 「当たり前よ、誰も何も言わないけれどそれが現実ですもの」
 「そうなの?」

 「あんたよくそれでスクリプトライターなんかやってられるわね」
 「……ゴメン」

 神さま、今すぐ僕かサラの舌を抜くかしてください。でないと遅かれ掴み合いでも始めかねない。勿論負かされる僕を見越してのディフェンス。

 「でも僕らはもう恋愛段階じゃないと思うんだけど…」

 「甘いわね。身も心も許し合ったからそれで成就だなんて、今時ティーンエイジャーでも考えないわよ。それが通用したのはせいぜい戦前までだわ」
 「…そうかな?」
 「あんたよくそれで…」
 「わかったわかった、そのくらいにしといてよ、頼むから!」

 不毛だ。一体僕はここへ何しに来たんだ? お仕置きの鞭貰って歓ぶほどヘンタイじゃないぞ……多分。

 「サラ…結局のところ僕はどうしたら…」
 「もう少しあなたの度量を広げることね。受けとめる覚悟もなくてブレンダンを受け入れたわけじゃないんでしょ? だったら悠然と構えて好きなだけ愛されればいいわ。第一勝者の悩みぐらい贅沢で他人の共感を得ないものもないんだから。私ぐらい人間ができて初めて適切なアドバイスもできるってもんよ。それがイヤなら…」
 「別れちまえ?」

 そこでサラはカップの中味をゆっくりと飲み干した。指先で縁についた淡いリップスティック跡を拭い、ナプキンを取って口元を押さえる。僕はそんな彼女の親密さを再認識できてとても嬉しくなる。そういえばサラは、それほど親しくない者やほとんど知らない人間の前では、決して食べ物を口にしなかった。

 「それを言うほど私イヤミじゃないわよ」
 「うん…わかってるさ……」

 僕の神妙な素振りにバツが悪くなったのか、彼女は少し眉を寄せた。その時窓の外に目をやった僕らは、同時にその不満でいっぱいの顔を見上げていた。

 「…ライリー」
 「知ってる人?」

 浅く溜息をつくサラ。

 「まぁね」
 「あれ、入ってくるみたい。誰なの?」
 「秘書の秘書よ」
 「えっ?!」

という間に僕らのテーブル傍らへ佇むライリー、ずっと走ってきたのか息を切らせていた。

 「ロビンって女友達のことじゃなかったのか?」

 何? 突然怪しくなった雲行きに、僕は二人の顔を交互に見る。

 「女友達と会うなんて私言ったかしら?」

 しれっと言い切るサラに、ライリーは顔を赤くして僕の方を向く。

 「君! 君名前は?」
 「あ〜あのぉ…ロバート…」
 「失礼な人ね、自分から名乗りもしないで」

 何だか妙な具合になってきた。ライリーはもうハロウィンのカボチャみたいになって、サラと僕を怖い目で睨んでいる。僕より余裕で頭一つ大きいし、絶対大学じゃクォーターバックでしたってガタイだ。この直情が冷静を求められる職務に災いしてそうな気配は濃厚で、完全にサラの方が御者らしい。
 特別ハンサムってわけではないが、僕はサラが彼からリングを受け取った理由が容易に知れた。男性特有の色気には欠けるが、目元がブレンダンにそっくりだった。
 サラは再びサングラスを着け、窓の方へそっぽ向く。どうしていいかわからなかったので、僕はとりあえずライリーに愛想を振りまいてみた。いかつい顔がもっと険しくなったところを見ると、明らかな失敗だったらしい。

 「こないだからおかしいと思ってたが、こいつとずっと会ってたんだな?」

 はぁ?

 「ホーッホッホッホッ…ボーブ、この人ったら私達のこと疑ってるんですってよ?」

 そりゃまた…なんて笑えないジョークだ。

 「こ、光栄だよ、ハハハ……」

 僕のひきつり笑いは、ライリーの威嚇で瞬間フリーズドライされた。

 「ライリー、これ以上あなたに恥かかされるのも真っ平だから言うけど、確かにこちらの『ロビン』は男性ね。でもキャロルの独身サヨナラパーティのメンバーって言えば、その可愛らしいオツムでもわかるかしら?」

 出張ストリッパー以外にその場へ出席できる条件、それは僕がゲイだから。
 赤かったライリーの顔はみるみる青ざめていく。僕はブレンダンに似た彼に同情する。ブレンダンと違うところは、自覚ある敗者ってこと。気の毒に。

 「サラ…オレはまたなんてヘマを…」
 「それ以上墓穴掘りたくなかったら口を閉じて外で待っててちょうだい」

 情け容赦ない彼女の指令にすごすご退場していくライリー。

 「…あんまり責めちゃ可哀想だよ。ほどほどで許してやったら?」

 外はみぞれまじりに変わっていた。ライリーはラブラドールのように1ブロック先の角でこちらをじっと窺っている。ハーネスでもあげたいぐらいの忠実さだ。

 「当然でしょ。それが勝者の特権ですもの」

 パースから紙幣を取り出してテーブルへ置き、彼女は立ち上がる。見上げる僕はつい微笑んでしまう。

 「さっすがだねぇ、サラ」
 「敗者復活戦はとうに終わってるの。あなただけいつまでも勝者になんかしとくもんですか」
 「ねぇ…ありがとう」

 数歩歩きかけたサラは、戻ってきて頬へキスしてくれた。サングラスのフレームが当たって痛かったけれど、奥のブルーの瞳はとても優しく穏やかだ。

 「救急車に運ばれるあなたとブレンダンの1面トップ、すっごい楽しみ〜」
 「あ〜〜サラぁ…頼むよぉ……」

 僕の弱音に背を向けて、後ろ手に掌を振るサラは、小気味良いハイヒールの音をさせ去っていく。
 特大の溜息を吐き出して、僕はレモネードのグラスを掴むが、そういやとっくに空だった。もう一度頬杖ついて外を眺めれば、サラとライリーがちょうどタクシーに乗り込むところ。僕の眉は俄然寄ってしまうが、諦めてすっかりぬるくなった炭酸水で我慢した。不味かったけれど、一方的な舌戦で干上がった喉を潤す役には立った。
 空のグラスを一つ弾き、僕は独りごちてみる。

 「君に一体誰が適うってゆうのさ、まったく……」

 それでもここに来る前の憂鬱が、多少晴れていることに変わりはない。

*  *  *  *  *  *  *  *

 パピーの鳴き声って言えば可愛らしいけれど、毎回聞かされればそうでもないんだ。

 たった今イッたブレンダンは、下半身の痙攣を味わうようにしばらくゆっくり動いてる。
 僕のジュニアといえば……海綿製のブランケット被ったまま不貞寝。先走ってもないんだから、ちょっと深刻に薬物使用を検討すべきかなあ、なんて思ったりもして。
 ともあれ、出ていくブレンダンを脇へ押しやって毛布を被った。やれやれ、今日もこれでやっと眠れる…と思ったのはやっぱり儚い夢。背後でごそごそ蠢く気配。背中に押し当てられる柔らかい感触。くすぐったい。彼のキスは好きだ。初めて好きになった男の子を思い出す。幼稚園の砂場でのファーストキス。
 でもそのあとマイクの手が回り込んで僕のペニスを掴む、なんてことは決してなかった。甘ったるいファンタジーって年じゃないけれど、秒速で興ざめしていくのも確か。

 「…ブレン……止せよ…」
 「でもお前まだだろう?」
 「気遣ってくれるのは嬉しいけど、ホントに僕はいいから……」

 首を捻って言いながら、ブレンダンの窺うような目を見つめる。明らかな不満を鼻腔から吐き出して、彼の手が撤退していく。ホッとして僕は向き直り、目を閉じた。しばらく名残惜しげな唇が項を這っていたけれど、無反応の僕に諦めたのかブレンダンは離れてくれた。
 運動疲労は瞼を鉛に変え、数分僕は微睡んだ。REM睡眠の直前はあまり快適って言えないけれど、僕はこれがわりと好きだ。子宮の中ってもしかしたらこんなじゃない?
 どんどん深まっていく筈の眠りから、急速に僕は覚醒へと戻された。身体の表面が粟立っているのがわかり、ふと下を見れば裸身を晒している。初冬深夜にこれは自殺行為だろう。僕の毛布はどこ?
 そんなひどい寝相じゃないのに、ぼんやり考えながら、僕は脇へ落ちているんだろうと毛布を拾うため腕を伸ばした。ガシャン。
 ……ガシャン?
 少なくとも僕のリーチはベッド上から床に届かないほどアンバランスじゃない筈。こんなこと考えてるとこみると、まだ完全に目覚めてなかったんだよね。いい加減手首の擦れに気づいても良さそうなものだけど、数回マヌケな動作を試みて、やっと僕の手首とベッドの縁が異様な銀製の輪っかで繋がれていることを知ったんだもの。

 「…何……これ?」
 「手錠だよ。見たことあるだろ?」

 バスローブを纏って脇へ立つブレンダン。

 「わかってるくせに……僕が聞いてるのはこの状態だ!」

 直観てのはあまり嬉しい時や楽しい時には働かないもので、この時のブレンダンのそれはもう楽しそうなご様子は、僕にとってあまり歓迎すべき予鐘ではないことを告げていた。
 詰めの甘い彼らしく、両足の為には用意されていなかった。でもそれが逆に腹立たしいぐらいで、じたばたさせて僕は全身でブレンダンへ異議を唱えて見せる。これも計算の内、とばかりに腕を組んで見下ろす皮肉な笑いに、僕は声を立てないだけで精一杯。

 「全然面白くないぞ、こんなの」

 首を竦めるブレンダン。さも満足って顔だ。

 「そうか? ナスダック株価が右肩へ駆け上がってくのよか百倍は楽しいぜ?」

 「…お前がこんな悪趣味とは知らなかった。まったくお里が知れるね」

 星空の5分後ぐらい微々たる変化だったけれど、歪んだ顔色がわかる。怖いぐらい目が座ったブレンダンは、どこか『欲望という名の電車』でステラに懇願していたマーロン・ブランドーに似ていた。
 彼はきびすを返すとクローゼットを開け何か探しているようだったが、僕の体勢では死角になっていて見えない。イヤな予感がする。しかも頗る級の。
 ブレンダンの口数が減って事態が好転したためしなんかない。キャロルの披露宴、あのメンズルームでの豹変とか。
 でも今回はちょっと違うみたいだ。
 ブレンダンの真顔は、バスター・キートンじゃあるまいしこれから時計塔にぶらさがるコメディを演じるってわけでは勿論ない。
 認めるのはイヤだけど、彼はどうやら気分を著しく害した、らしい。
 僕はこの時初めてそう思ったんだけど、ブレンダンのヤツ、僕がうつらうつらする前からとっくにムカついていたんだ。しかもその日の午後にはいっとき沸点にまで達していた。ばかばかしいったら。
 彼は所信表明でもするみたいに後ろ手を組んで戻ってくる。保険調査専門の弁護士の方がまだ人好きすると思う。それぐらい冷めた目で僕を見下ろしている。お前それでホントに教育者の端くれって言えるのかよ? ぐらいのハッタリも言えない自分が不甲斐ない。

 「どうやら自分の立場というものがわかってないようだ」

 ここで三下なら地べたに這いつくばり、ドン・コルレオーネの慈悲を乞いだりするんだろう。例えあとで風通し良い身体にされ、未明のイーストリバーに浮かぶことになっても。
 でも僕はそんなの真っ平だった。大体立場って何なんだよ? 自分の方が上下関係において格上と仮定しなくちゃ言えないこの傲慢さ!
 冗談じゃない。尤も物理的に平伏するなんて無理なんだ。第一今僕はこの卑劣漢によって両腕を縛められているんだもの。

 「今直ぐこれ外すんならなかったことにしてやる」
 「ハーハッハッハッ…悪くないけどユーモアセンスとしては要再考ってとこかな」
 「いい加減にしろよ、ブレン。早く鍵寄こせったら!」
 「イヤだ」

 背後に回した両腕が身体の前に現れた。ファンシーなラメの光沢を放つラッピングはこの場に随分場違いだったけれど、ブレンダンは鼻歌交じりに小包みをほどき始める。

 「何だよ、それ?」

 返答の代わりに無邪気な一瞥を返す彼は、憎たらしいのにあくまでハンサムなんだ。あぁ、まったくもぅ…

 「お里が知れるなんて言われたんじゃ、相応の作法でもてなさなくちゃねぇ……」

 歌うように言う彼は決して下品なんかじゃなく、むしろその品の良さが僕の不注意な一言を後悔させ始めていた。けれど、ブレンダンの手の中に現れたもののグロテスクさといったら、キャシー・アッカーやクローネンバーグ作品の比じゃなかったよ。
 目を疑う僕はしばらく無言で彼とそいつのために石化していたが、近寄ってくるブレンダンのおかげで瞬間的に溶解できた。大して嬉しくもなかったけれど。

 「……い…いつのまに…そんなもの…」
 「そんな声震わすほど嬉しいか?」
 「誰がだっ!!」
 「悔しいけどオレのフルスロットル時でも遠く及ばないんだよな。までも13インチなんて嘘臭すぎて、逆に滑稽だけど」

 よく馬並って言うけど、馬だって始終そうしてるわけもないし、もっと慎み深い動物の筈だよ。でなくちゃイギリスなんてお上品な国で、犬に大きく差をつける一番人気の動物として不動の一位になんかおさまれないって。

 「オブジェに見えないこともないよなぁ?」

 言ってブレンダンは、40cm強のディルドゥを目線へ掲げて見せた。

 「だめだ」

 頭から血の気が引いていくのを必死に堪え、僕はにじり寄るブレンダンへあらん限りの拒絶の言葉を放つ。ちゃちな二つの銀輪のせいで、それら全てが負ける前の遠吠えに変えていることを知らないわけじゃなかったけれど。

 「来るなったらぁ! 僕におぞましいことを言わせる気なのかぁ!!!」
 「それはまた迂闊だったな。で、どんなイヤらしいこと言ってくれるんだ?」

 とうとう傍らへ腰下ろし、ブツで左の掌を打ちつけながら微笑むブレンダン。確かにどうやって反抗的な生徒を懲らしめてやろうかと思案する教師の顔だ。

 「…ぼ…僕に…まさか……それ…を…」
 「どうぞ、続けて」

 ピタピタピタ。頭上を舞うベージュの造形物は、どう考えても人間の体内を鞘にできるサイズじゃない。僕は呂律もあやふやになって、もうブレンダンへは罵倒よりも懇願しか効果がないと思い至った。

 「だ…めだ……ぼ…く…異物挿入…なんか絶対…しな…」
 「へぇ、これってそういうもんなのか? ここまですごいのはてっきり鑑賞用だとばっかり思ったぜ?」

 やられた。
 たった今教えてもらったよ、と言わないだけで、彼は更に顔を綻ばせた。
 ブゥーン……。
 低い唸りと共に、それは生命を宿したみたいで自在に蠢き始める。
 僕はもう言葉もなかった。節足動物か海中下等生物みたいなひどく卑猥な動きをプログラムされている人造ファルス。そのままではメトロポリタンの彫像とさほど変わらない静物でしかなかったけれど、テクノロジー世代の恩寵でバイブレーション機能を得るや、一足飛びに一種文明品の仲間入りを果たすものへと出世した。
 こ…の……どヘンタイ野郎〜!

 「…ヤ…だ…やだやだ、やめろったらあっ!」

 罠にかかった獣は怪我のせいで弱っていることもあるけれど、ある程度の抵抗をしたらあとはおとなしくなるものなんだそうな。
 じゃあ僕は動物以下ってことか? 無駄な抵抗だって? まったく良く言ったものだよ。
 ブレンダンは指先でちょっと具合を確かめてから、ゆっくり僕の胸へそれを近付けた。からからに渇いた僕の喉は、もう声を発することを止めている。彼は唇を尖らせ、僕を宥めるためにシィーっと囁く。そんなことしなくたって、とっくに僕は言語能力を失っているってのに。

 左胸めがけ、バイブレーターは真っ直ぐ下りてくる。見なければ触覚も中和できるとでも期待した僕は、つい顔を背けてしまう。
 くつくつと忍び笑う声がした。

 「いいね、それ。女の子みたいだ」

 カッと頬が染まるのがわかって、策謀へまんまと掛かった僕はブレンダンを睨みつけた。同時に乳首の尖端へ淫らなうねりが起こる。

 「ひぃぁっ!…ぅぅぁ……」

 僕のそこは瞬く間に摩擦を察知し、震動に合わせみるみる屹立していく。思わず洩れる声を飲み込んでも、あとからあとから喉を駆け上がってくるみたいだ。
 霞む眼で見やれば、僕のそこは痛みと痺れの混成攻撃を次第に快感へ変換させるべく、懸命な自助作用を試みているらしかった。
 要は、責められるととっても弱い僕のそこは、女の子の乳輪みたいに大きくなって、泣きたくなるほど鮮やかに色ずいていたんだ。

 「あぁ…クソっ……ヤメ……」
 「わかってるって。これじゃあんまり依怙贔屓だよな? 曲がりなりにもオレは教育者なんだから、片一方ばっかり可愛がるのが悪いってことはよぉーく知ってるんだぜ?」

 とかなんとか尤もらしいことを言うわりに、場末の泥酔アナリスト以下の説得力も持たないブレンダンが次にしたことといえば、先制ポイントを他方へ移しただけだった。しかも空いたもう一方の手で、熟んだようになっている左側へだめ押しの更なる責めも忘れないといった徹底ぶり。
 両方の敏感箇所の刺激に耐えきれず、僕がどんな狂態を演じなくちゃならなかったかわかる?
 望まないのに勝手に出ていく嬌声。気持ち的には逃れたくてもそれは勿論無理なわけで、腰を捻って重心を左右へ動かしている様は、結局快楽に身悶えしているようにしか相手には映らない。
 それを証拠に、僕のペニスは長の冬隠りを終え、芽吹く春へ備え始めさえしていた。
 白旗目前の僕を見てブレンダンが何も言わないのがただ悔しかった。嬉しくって堪らないくせに、バカに真面目くさって僕を観察しているような目には、本当に頭にくる。

 「…コロ…す……絶対……」

 苦しい呼吸の間からようやくそれだけ吐き出して、僕はブレンダンを尚も睨みつけた。勝ち誇って笑い出すと思っていたから、迷子のちっちゃな子供みたいに突然情けない顔をした彼に、僕の動きはつい封じられてしまう。
 まるで、僕が彼に酷いことをしたみたいじゃないか。

 「…ブレン……」
 「へぇ? そ〜んな激しい常套句も言えるんだ? オレが今どれぐらい嬉しいかわかんないだろ?」
 「何言ってんだよ…」

 ブレンダンは一瞬遠い目をしたが、僕の瞳に映る自分へ焦点を合わせようと顔を寄せ、聞いたこともない声でこう言った。

 「コロシの犯人は仏さんの愛人。どうして? 決まってるじゃないか、殺したいほど愛してる、そうだろ?」

 顔に全身の血が集まったんじゃないかって思えたよ。大観衆の前で4ワードを言わされるのが、それに一番近いんじゃないかな。
 そんなヘマなんかとは関係なかった僕は、非常ないたたまれなさに字義通り声を失ってしまう。異議申し立てに勇み足だった僕の口はOのまま閉じるのを忘れ、痴呆みたいな放心を晒した。
 かといってブレンダンがその改悛を読んだわけもなく、対父兄仕様のめったにお目にかかれない感じ良い笑顔を向けると、無造作に掴んでいたものを僕の視界へ入れてくる。躊躇は必要ないという自己判断のもと、彼は震動を僕の下唇へ押し当てた。

 「ハッ!…見せてやれなくて残念だ。すごいぜ? 常人の1.5倍あるもんだから波打ちも半端じゃない。でかい体積分だけ神経も多いんだろ? 大抵はキス止まりだが、お前得だよな。傍目じゃ何の役にも立たないように見えて、その実こういう必然でその厚み維持してるってわけだ」

 唇の先から徐々に口腔へ進むせいで、僕の呼吸は次第に狭められていく。バイブは今じゃ顎を伝って耳の奥まで共鳴させ、三半規管を侵蝕している。
 軽い酩酊が起きはじめ、目の前がピンク色に霞んで見えた。その時震動が一旦遠退いた。

 「…前言撤回。なんて顔してる。他のヤツにもそんな顔見せんのか? 真っ赤に腫らしたその唇で誘うのか? そいつはスターリングか? そんなの許さないぜ…ボブのここを好きにできるのはオレだけだろ」
 「…何言ってるんだよ? どうして急にスコットがでてくるんだ」
 「とぼけなくていい。スタジオってとこは便利だな。男同士くっついてても誰も何も言わないんだから」

 こういう間の悪さってのは、つくづく星巡りの凶運を確信させてくれるよ、まったく。今日はサラに会う前、撮影組との打ち合わせで僕もドラマ班に呼ばれていた。
 寝起きで少しボーっとしていたから、スコットが転ぶ前に用心するんだと言ってカメリハ待機してるところへ引っ張っていき、僕はそれに従った。結局彼を裏切った僕に後ろめたさがないと言えば嘘になる。でもスコットはその点オトナだから、あれ以来でも変わらぬ友情で接してくれた。
 疲労と弱気で何にでもいいから寄り掛かりたかった僕は、以前と少しも変わらない広くて温かい胸に包まれ、束の間の休息を取ることができた。

 「まさか見張ってるってんじゃないよな?」
 「珍しく身体空いたからランチでも、なんて仏心だしたオレがどうせバカなんだろ」

 言ってブレンダンは掴んでいたものを僕の口の中へ押し込んだ。すぐに胃液が上がってきたけれどつっかえが外されることもないので、喉付近からそれは逆戻っていく。苦しさに滲む涙でさらに視界は歪み、窒息するんだ、と頭のどこかでぼんやり思っていた。
 自殺手段をよく子供の頃に考えるものだけど、僕は絶対首吊りなんてごめんだって思ったものだよ。でもこのポピュラーで手間入らずの方法を、ひとは深慮もなく常に上位ベストスリー圏内で選んでいる。長いこと泳げなかった僕は少しでも呼吸できなくなるのが怖かったわけだけど、どうやらこういうことなのか、と薄れる意識でその時わかったんだ。
 喉を締め上げ一定時間を経ると、苦しさは消え意識を失うその一瞬、得も言われぬ快美感に恍惚となれるという。
 擬似扼殺はけれど長く続くものでもなくて、恐らく動きが鈍くなった僕に焦ったブレンダンは口を解放した。外界と肺を繋ぐ管は、途端襲ってきて充満する酸素に機能が追いつかず、全速力で駆け出す吸排の方がむしろ苦しかったぐらいだ。
 咳込む僕を見て、彼はどう思ったろう? 少しは罪悪感を持ったかな? どういうわけかもう僕にはブレンダンを責めようなんて気はさらさら無くなっていた。
 だってこの時の僕ときたら、どうしようもないほど感じまくっていたんだから。
 視覚が落ち着いてきて、不安気なブレンダンを映しだす。口の横を唾液が伝っていくのがわかる。
 それでも放さず掴んでいた彼の手の中の模造ペニスも同種の粘液で濡れ、呆れるぐらい忠実に再現された傘の末端から、今しも鈍い雫が滴り落ちようとしていた。

 「……ボブ………」

 もう呼吸は通常に戻ったけれど、僕はリズムをアンダンテから変えず、彼に聞かせるように深くて熱い吐息を吐き続けた。空いている手でローブのポケットを探り、何か取り出すとブレンダンは僕の縛めを解いてくれた。

 「……ボブ…オレは……」

 それ以上は要らない、言う代わりに僕は首を横に振り、最後に一つだけ頷いて見せる。あまり旨く笑えなかったけれど、彼の顔からみるみる不穏がなくなったところを見るとまんざらじゃなかったらしい。
 億劫がってナマケモノを真似、仰向けのまま背中でごそごそ這い、ベッドサイドへ項が来る位置まで、僕は上体を移動させた。逆さまのブレンダンは、往来で突然パントマイムでも始めたピエロを眺めるみたいに怪訝な顔をしている。

 「…いいぜ…それ…挿れて……でもこっちはブレンがいい……ほら…寄こせよ……」

 どうやら僕は脳への酸素供給が一時停止された間に、羞恥心をどこかへやってしまったようだ。ポルノスター紛いのおねだりをして、舌をちらつかせながら物欲しげな口を開け放つ僕は、聞こえかねないぐらい息を飲み込んだブレンダンを見てもおかしくもなんともなかったんだもの。
 彼はもう何も言わずにベッド後方をぐるりと周り、脇の棚からKYゼリーを取り出して、僕のアヌスを潤滑し始める。持ったままのディルドゥが乾いたわけでもないけれど、用心に越したことはないからね。
 対局ファーストラウンド、ブレンダンの第一投によって僕のそこは比較的早くほぐれ、合成ゴムの化け物ペニスを思いのほか苦しまずに受け入れることができた。低く息を吐き出しながら、ゆっくり挿入と同調させる。流石に全部というわけにいかなかったみたいで、僕のデッドエンドに達し彼がそれ以上諦めた時は、まだ半分しか入っていなかった。
 場当たり的な空虚が満ちる。面倒だったけど僕は無理な体勢から首を持ち上げた。
 するとブレンダンのヤツ、あろうことか心配顔なんか浮かべている。バカだなぁ、何を今更迷うっていうんだろ。

 「ハッ?! まさかコントローラーいかれたなんて言うんじゃないだろうな?」
 「……でもボブ、すごく苦しいだろ?」

 ふざけてんのかよ?! 僕は派手に頭を後ろへ倒し、半ば叫びも交えてしまう。

 「このままにされてた方がよっぽど苦しいよっ! いいからオンにして戻れったら!」

 この呆れた形成逆転劇は、よく顔から火が出なかったなって思う。百戦錬磨の色事師だってそこまで堂々としていないって。
 ともあれ視界端で、移動するブレンダンが見えた。もう一度逆さの臑が正面に来て足踏みしていたが、やがて床へローブが落とされた。ちょっと頭を上げて見ると、なんだかんだ言って半勃ちしているブレンダンに対峙し、僕は口の中で笑う。
 視線とは逆だから憶測なんだけど、きっと彼、舌打ちしたんだと思うよ。それから片眉を吊り上げ、根本に手を添えて差し込み口へ向かったんだろうな。目に見えるようにそれがわかった。
 彼が僕の開いた脇の下へ両手を入れたのと、フェイスファックが始まったのは同時。小鼻にブレンダンのボールズがハンドクラップ紛いの軽快音を立てて、僕の目も楽しませる。彼の息が荒くなり、どんどん突きも加速した。
 僕の方も他人に構っていられる場合じゃなくて、MAXにシフトした震動レベルは簡単にポイントを探り当てていた。押し引きとはまた違った未開の動きが僕を狂わせ、腰を浮かせては容赦ない回転を促す。ブレンダンを含んで呻きながら、僕はどこかで安堵してもいた。声が解放されていたら、とんでもない痴態を晒したことだろう。
 いよいよブレンダンのピストンも佳境に入ると、義理堅くも彼のフリーの両手は僕の貧相な胸上を忙しなく這い、彼の下腹へ照準を合わせている僕の屹立をときどき擦ることも忘れなかった。そう、僕のセンセイはどこまでも真面目、レジュメに忠実なんだ。
 認めるよ。すごいんだ。今までこのベッドの上で彼と過ごした夜が、みんなママゴトに思えるほどだった。
 良すぎてどうにかなっちゃうんじゃないか、本来不安になるはずなのに、僕はどうしてもこの快感の辿りつく先を知るまでは、例えこの瞬間に核戦争が始まったってブレンダンを離してやるもんか、そう思っていたんだよ。

 「…オゥゥ…ホぉ…く…ボォ……ブ……」

 喉に打ちつけられる飛沫。慣れない角度ながらできるだけ嚥下に努める僕の口端から、それでも滴っていく白濁は床面を目指す。
 ブレンダンはもう動かない。余韻も残さないぐらい充足した、落ちてくる彼の上半身に僕はそれを教えられた。
 僕の中の無機物は、始まった時と変わらない速度を遵守したまま、ほとんど滑稽な動きを続けていた。放っておけば半永久的に止めないそれに犯されるんだ。その発想は僕をただのダッチワイフにはさせず、脳の感覚中枢を支配して間もなく解放を許してくれた。
 何度か短く叫んで、そこへは触れないまま、僕は臍のまわりへ性を撒き散らす。

 「…ん…はぅ…あ・あ・あ・あぁぁぁーーーっ!!!!!…」

 どうしても思い出せないんだけど、僕ブレンダンの名前呼んだんだって。初めてなんだ、聞き間違う筈ない、彼そう言って怒るんだもの、信じるしかないよね。
 救急車の中でそんな会話をする羽目にならなかったんだ、それだけでも感謝しなくちゃ。
 ねぇ、サラ?
                 FIN

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