HIS BOYS
by スギオメル


ジョンの憔悴といったらなかった。

 頬は削げ、目の下の隈は一向に消えず、痛飲は始終彼を白日夢に貶めた。それでもオスカーを愛した青年は、自身の凄惨を美しさに化えている。
 思い詰めた漆黒の潤んだ瞳、血の気が失せた顔色に反し、より赤味を増す口元。無為に放散された甘い蜜の香りに蜂どもは絶えずやってきて、荒野に取り残される白百合へ群がった。受粉以上の恩恵を期待し、花の周りで礼讃の輪舞を舞った。頑なな蕾を時期足らずで開花させようと、様々な試みがなされた。
 そのどれもうまくはいかなかった。終いにジョンは誘う男に殴りかかろうとさえした。
 どんな親切よりも、ジョン・グレイにはオスカーが必要だった。

 「オスカーを殺して僕も死ぬ」

 三文芝居の台詞と大差ない陳腐さだが、彼は本気だ。喉元過ぎればと思ったが、ジョンにはどうやら魔物がとりついてしまった。

 「オスカーは君を忘れたわけじゃないだろう? 今だって手紙をくれるじゃないか。彼は友だちを見捨てるような薄情者じゃない」

 暗い酒場で、ジョンが虚ろに眼を向ける。それにどこか憐れみも見えるのは、僕が彼と同じ身分だからだ。

 「知ってるさ、そんなことぐらい。でも僕は友だちとして扱って欲しいわけじゃない。君だってわかってるだろう、ロビー」

と言って、6杯目のウォッカを呷る彼の眼は、ますます澱んで暗くなるばかりだった。
 オスカーは今、田園の湖畔で新しい戯曲を執筆中だ。ジョンも彼と一緒に旅をして、美しい自然を絵筆でカンバスに再現するはずだった。
 だが実際彼はうらぶれた都会の片隅で絶望し、絵筆さえ重いと言って文句を言いかねないアルフレッド・ダグラスがオスカーの傍らにいることを許されていた。

 「僕はオスカーを愛しているから、彼の愛する何もかも愛せるんだ」

 ジョンのこういった無垢が時々僕を閉口させることを、彼は知らない。彼はまだ十分若く美しいのに、まるで何年も前に夫を戦地で亡くした寡婦の疲弊を纏い続けている。亡夫への愛に殉じる、それは確かに美しい行為だ。
 とはいえ、今直ぐ黒衣に着替えてみても、嘲笑されるのはジョンだった。第一、男が同性にたてた操を堂々と申告できる社会が、一体どこにある?

 「ロビー、君はもう彼を愛していないからそんな風に言えるんだ。でもそんなことはもうとるにたらない。彼が幸せならそれで満足さ。そうオスカーさえ……」

 ろくすっぽ食事もとらずここへ入り浸っているジョンは、もともと痩せていたが更に身細って、プレップスクールの下級生とそう変わりがなくなっている。
 傷ましい、と思う。彼の芸術は、別れと共に枯れ始めた。ジョンが潰れるのは時間の問題だった。
 そして僕はどうすることもできない。同じ絶望を感じた僕が多少知恵を働かせ、それに挫けないようカトリックなんかに改宗したばかりに。手を伸ばせば髪にも触れられるというのに、ただ掌の虚無を弄ぶしかない。
 どれほど言葉を変えようと、僕らは敗者であり、ダグラスが勝者なのだ。

 「ジョン、君はやっぱり立派だ。あまり感心しない言い方だが、結局君を裏切ったオスカーなのにそれでも彼の幸福だけを望んで…」
 「そうじゃない! 彼は誰かを裏切るような人間じゃないと、わからない君でもないだろう? 喩え話でも二度とそんなことは口にしないでくれ!」

 処置無しとはこのことだった。僕がもう少し無分別で腕力にものを言わせる無恥を行使できたら、ジョンの理想主義的な絵に描いたモチなんて唾棄してやれたのに。
 だがそんなことはしない。僕はあまりに無力だ。忠告に耳を貸さず、唯一泣き言を聞いてやれる僕を、どこのマヌケだと言わんばかりに見るジョンのそばに、何故僕はいつまでもいるのだろう? 打ち捨てられた原野の片隅で、互いの手傷を舐め合う獣同士のように。
 傷?

 「いいか、ロビー。僕にはわかってるんだ。ダグラスがいつかオスカーをダメにするって。確かに今はまだ珍しいから愛しているとも言ってられるさ。彼の天才だけでなく、あのあきめくらにだって彼がどれほど素晴らしい魂の持ち主かってことぐらいわからない訳もない。でもそのうちあいつは本性を著す。オスカーに張り付いて僕を振り返りながら、ダグラスははっきり笑った。虫も殺さないようなあの顔を醜く歪ませて、この僕をあざ笑ったんだ! あいつはもう得意の絶頂だった。ただ単に他人のものってだけで欲しがるこどもと一緒さ。なるほど、しばらくはその勝利でバッカスの乙女から注がれる優越という名の美酒に酔いしれることもできるだろう。でもロビー、こどもはすぐおもちゃに飽きるものじゃないか?」
 「いくらダグラスでもオスカーを玩具と同じには考えまい? それに君も言葉を慎みたまえ。僕しか聞いていないからって、彼をそんなふうに言うのはフェアじゃない」

 らんらんと輝いていた眼が、急速に翳りを帯びる。失望の灰青色。ジョンは今、簡単な等式を解けない生徒を見る教師のように、僕を気の毒そうに見ている。

 「君は……まったく優しい男だよ」

 まったくおめでたい、彼が本当はそう言いたかったことぐらいわかる。それでも僕は道化として、あくまで謝意を尽くさなければならない。
 どこまで僕らは、感情の泥沼で息も絶え絶えになりながら、首から上は女王でも前にする薄笑いを浮かべなければならないのだろう?

 「…失礼、ロス様は?」

 ウェイターが僕らの間で囁きかける。そちらを向いたが、声主は無言でトレー上の紙片を置き、去った。二つ折りの紙を開くと、その内容に自然と僕の眉が寄る。

 「どうした?」

 つまらなそうにジョンが一応尋ねる。一瞬僕は渋面を隠すのが遅れた。ジョンの直観が俄然興味を招き入れた。黙った僕から紙片を奪い、忙しない瞳の左右移動につれ、ジョンの顔面や手元がみるみる震えだす。

 「…あいつ…よくもこんな恥知らずを……」

 電報はダグラスからだった。文面自体は特におかしいものじゃない。ただ最後の記名が“ボジー”とあるのを指して、ジョンは罵っているらしかった。

 『大丈夫、それでわかる。僕らは軽々しく姓を名乗ることははしたないとされているのだ。殊に彼らのようなひとびとへものを頼むような時にはね』

 喜色満面で交換手へ説明するダグラスが目に浮かぶ。僕らのような下々の者とはまるで違う人種、というわけだ。饗応の振る舞い酒が、早くもほろ酔い効果を著し始めている。

 「行くのか?」

 僕は黙って頷く。

 「どうして?」

 それは多少なり意外でもあった。依頼はダグラスだが、慣れぬ土地で病床についたオスカーの世話に難儀しているから助けて欲しい、というのが概略だった。甘やかされて育ったあの男が右往左往するのは滑稽だが、より苦しんでいるのは他でもないオスカーなのだ。

 「人道的立場を鑑みてもまだ君はそう訊ねられるか?」

 ジョンの頬が少女の紅潮を見せる。どうやら自分の利己に気づいたようだ。
 そんな彼を、僕は愛しいと思う。オスカーを愛している、彼のためなら自死も厭わない、そう言いながら、ジョンの若さは自分を選ばなかったオスカーの不義理へ、一瞬だが異議を唱えさせた。
 僕は少しばかりほっとする。彼はほどなくオスカーを忘れ、オスカーの不在を乗り越えられるだろう。僕の短絡はそんな都合良い解釈をしていた。

 「ともかく切符の手配だ。今からだとまだ最終の便に間に合うだろうから」

 彼の分の代金も含めカウンターへ紙幣を置きながら、僕は立ち上がる。帽子とコートを取って戻ってくると、無言のジョンの青白い顔が燈火に照らされた。

 「ジョン、君は……」
 「行くなと言っても無駄だ。僕はもう決めた」

 彼の決意に一つ諦めの嘆息を洩らし、僕はジョンを促してやる。とても薄くて頼りない肩だ。できることなら守ってやりたいが、彼に僕の好意はとにかく何の役にも立たない。ジョンが僕ぐらいの年ならまだそれも可能だが、この若い絵描きは自分の芸術を失くしても構わないほど、他の魂を愛してしまっていたから。
 幼い子供が最善と信じて疑いもしない、誰かの不幸と犠牲の上に成り立たなければ成就しない厄介な方法で。

 田舎の大気はやはり一種独特で、神経が鋭敏になり研磨された才能はより潜在能力を発揮させる。と同時に、張りつめた緊張の糸を優しく切断し、どこまでも続くなだらかな丘陵を歩む心地よさに身を投げ入れてくれる。
 それなのにバースに近づくにつれ、ジョンの口数は減っていった。寒くはないか、とか飲み物を勧めてみても、ただ無言で首を横に振るだけだった。
 結局僕も、駅を出てオスカーの借りているコテッジまでの車中でさえ、運転手を不審がらせるほど沈黙に徹した。
 こじんまりした白亜の建物は背後の森に抱かれ、有羽人でもちらほら見えかねない牧歌的な立地にある。森の奥へ向かって清流が横切り、松風とたわむれる楡と共に、天然のせせらぎは愛らしい和音を奏でていた。
 停車した僕らの車に近づいてきたのは、だがこの場にさほどそぐわない見知らぬ若者だった。

 「…ミスタ・ロスってどっちだい?」
 「僕だが、君は?」
 「ボジーがお待ちかねだよ」

 下男にしては口の利き方がなっていないし、第一蓮っぱな物言いに比し装いが高価なのも妙だった。ダグラスの素性の知れない知り合いと思えば不思議でも何でもなかったが、すぐに僕はそれと気づけなかった。
 まだ少年のような若さだが、世慣れた風情とそれに伴いくずれた美貌がどこかダグラスを思わせる。口を開けば不平をこぼそうと待っている、ツンとした肉厚の唇。瞬きするのも惜しいのか、相手を射るように挑みかかるグリーンの瞳。
 何より感心しないのは、大人と子供の狭間で安定を欠き、踊るような足取りになる腰つきだ。若さに宿りがちで、自身の美を知悉する傲慢の王がダグラスの他にもいるとは、何とも幸先の悪い話だった。
 少年は僕とジョンの鞄を持とうとした。だが彼はそれを許さず、すかさず取り返す。出所不明の敵意に少年は目を剥きかけるが、首を竦めてそれを無視した。
 本能的にジョンは少年を察知した。どういった目的で、彼がここにいるのかを。

 「…ほんとあんたが来てくれて助かったぜ。あいつときたら喚くばっかで何一つできやしねぇんだもんよ」
 「それはダグラスのことかい?」
 「ダグラス? さぁな。旦那はボジーとかそんなようなこと言ってたが、あのお嬢ちゃんは勿体つけて言いやしねぇ」

 プチブルか相場師にでも冠せられる“旦那”という呼称は、どうやらオスカーのことらしい。僕は控えめに吹き出して建物に入りながら、ジョンほどこの少年を憎む理由がないことに気づく。
 少年の方でも生来の賢しさなのか、僕だけと話すのが無難と判断したようだった。

 「君はその……ダグラスの…」
 「ブリュノだ。近くに住んでる。お袋がここの料理人なんでオレもたまに顔出すうち、旦那の手紙出しとか手伝うようになった」

 この申告を疑うわけでもないが、僕は目下の少年に微笑んで更に続けてみる。

 「すごく……良い上着だね…」

 ブリュノはきつい瞳にさらに力を込めた。

 「旦那がくれたんだ。オレはいらねぇって言ったぜ。ここにいるんならみすぼらしい格好はさせられない、とかなんとか言うから…」

 オスカーはどこにいても彼の唯美主義を曲げなかった。確かにこの野薔薇の逞しさと野卑を備えた少年は、温室で丹念に栽培された蘭にはない可憐な美しさがある。
 ジョン、ダグラス、このうえ予想もしなかった第三者の出現に、僕は目の前が暗くなる思いだった。
 寝室へ向かう階段の踊り場に、ダグラスが手摺に寄り掛かって見下ろしていた。石竹色の部屋着が彼のブロンドに良く映える。内実はともかく、この若い貴族が身体的に素晴らしいことは間違いなかった。
 僕ら3人は自然に彼を見上げる。ダグラスの顔がほんの少し反り返った。持っていたワイングラスを掲げ、一息に中身を干す。
 援軍が到着したことを歓ぶ顔にはほど遠く、どこで油を売っていたと責めかねない不興顔だ。隣りでジョンが身体を強ばらせるのがわかった。

 「ブルゥ、荷物は客間だ」
 「でもベッドは上…」
 「いいから言われたとおりにしないか」

 少年はまたあの眼でダグラスを睨み返したが、もうそれ以上逆らわず階段を下っていく。僕とジョンはゆっくりステップを昇り、彼の隣りへ立った。

 「化け物屋敷でもあるまいし、ひとりじゃ来れなかったのか?」

 僕に問いながら、ダグラスはジョンを真っ向から見て言った。

 「彼の病状を悪化させたと、より多くの人間にばれるのがそんなに怖いか? 看病一つろくにできない無能な君には発言権なんぞありゃしないぜ」
 「やめないか、2人とも。それよりオスカーは?」

 掴み合いでも始めかねない彼らの間に割って入り、僕は2人に目配せする。僕の方で偏頭痛がしてきた。
 ダグラスは鼻先から不満をこぼし、寝室のドアを開ける。でもそれだけで入室しようとはしなかった。

 「オスカーッ!」

 目を閉じてベッドへ横たわるオスカーへ、ジョンが堪えきれず縋りつく。眠りが浅かったのだろう。薄く瞼を開けるオスカーは、気配へ緩慢に微笑んだ。瀕死の象が墓場で寄り添う我が子へ向ける最後の慈愛にも似ている。
 馬鹿な、僕は自分の想像に身の毛がよだち、すぐ打ち消した。泣き出したジョンの頭頂を撫でながら、オスカーは大義そうに僕へ会釈を寄こす。

 「…とんだ失態を晒しているね、僕は。列車は快適だったかな、ロビー?」

 ジョンの泣き声が一層甲高くなる。死ぬわけでもあるまいし、それはかなり大仰な熱演に見えないこともないが、ジョンの張りつめて外れたタガを知っている僕には胸の傷む光景だった。
 オスカーは優しい。自分の容態が深刻なのにも拘わらず、まず僕らの移動手段を気にかける。だから僕らは彼を愛さずにはいられなかった。

 「ではご婦人方、美しい師弟愛は堪能させてもらったから、あとは任せていいか?」

 背後からの声に、言いかけた僕の挨拶は引っ込んでしまう。振り向けばダグラスが腕組みし、苛立たしげに足踏みしていた。
 向き直ると、言葉にならない罵倒を耳元で喚くジョンを、オスカーが頭を抱え宥めている。ダグラスはもちろんだが、やはりジョンも加勢とは言い難い。ひとまずドアの外へ出、さらに遠慮のないダグラスの無体をオスカーへ聞かせないのが先決だった。

 「もう少し病人に思いやりを持てないのか?」

 声を潜めて僕は言う。

 「僕は看護人じゃないぜ」

 この悪びれなさはまたどういうわけだろう。いくら特権階級とはいえ、感情機構は常人と変わりないはずなのに。

 「そうだが何もわざわざ彼の前で……」
 「うるさいな。もううんざりだよ。大体あれは僕の好きなオスカーなんかじゃない。単なる弱った中年だ。トドみたいに日がな寝ころんで豚みたいに唸ってるなんて、まったくぞっとさせられるよ」
 「何を言うんだ! 病気なんだから仕方ないだろう? そんなこともわからないのか、ボジー!」

 彼の冷たく澄んだブルーの瞳が、一瞬細められゆっくり元へ戻る。しばらく僕を見ていたが、またすぐ硬質の表情を向けた。植民地へ入植した彼らの先祖やその仲間が、現地人を見る目だった。

 「とにかく、元に戻るまでここにいてくれていい。それと君へボジーと呼ぶのを一体誰が許した? ダグラス卿、それ以外で呼ばれても僕は応じないからそのつもりで」

 侮蔑を隠さず一瞥さえ価しないとでも言いたげに、ダグラスは階下へ下りていった。
 荷物を運び終えたブリュノが階段を昇りかけるのを制し、肘を掴んで客間へ連れていく。僕とダグラスを交互に見た少年は、なぜか楽しそうに一つ微笑んだ。
 僕の握られた拳は、怒りに震えていた。彼に気づかれていないか、そんな愚かな危惧を持った自分が恨めしかった。
 寝室のジョンはまだ泣き止まない。

 オスカーの病状は思ったほど悪くなかった。教会の研修で看護術全般を身につけていた僕には難なくこなせたが、ジョンが昼も夜も彼の横を離れず、それが何よりオスカーを力づけていった。
 アルコールばかりでなく、しばらくとりついていた憂愁と断絶し、幸福そうに笑うジョンを見て、僕も嬉しかった。だがそれは僕の非力を再認識させるという副作用もあるため、献身行為をどこか空しくもさせた。
 ダグラスを責められない、僕は皆が寝静まった深夜、独り客間でグラスを傾けぼんやりそんなことを考えた。
 その時、ダイニングの方から物音がした。誰か寝水でも飲んでいるのだろう、気にも留めずにブランデーを注いだ僕は、深まる夜の中で振り子が軋る音を聞いた。
 静寂な闇に敬意を払わぬ騒音は止む様子もなく、何やら乱暴にものを引き倒す音へ発展していく。田舎とはいえ、一軒家狙いの夜盗という考えもわくと、流石に悠長にしていられず、確認すべく僕は物音へ近づいた。
 静かにノブを回す。今夜は見事な二日月の光が障壁を気にせず窓へ射し込んでいた。
 苦しげな声は次第に熱を帯びていく。不規則なリズムの隙間から、啜り泣きももれ聞こえた。

 「…ん…ふぅ……あっ…あっ…や……」

 月明かりはダグラスのガウンへ乱反射し、銀色に輝かせていた。裾へ向かってできる襞の振動元は腰部で、内側に反り返りそこを挟んでいる素足の指先が、微かな摩擦音を立てている。
 足元の床には裏返されたボウルと潰れた芋が転がっている。これらが乗っていたテーブルへ、今ではブリュノが組みしかれていた。
 少年の声は、少女のそれのように細く高く尾を引いた。傷ましいと共に、どうしようもなく扇情的だ。時々苦し紛れの下品な罵倒が口をついて出るが、決して自ら離れようとは思わないらしい。
 それを見て、ダグラスは一層楽しく行為に没頭できるようだった。
 明らかに成人に満たないブリュノを犯す、アルフレッド・ダグラス。
 彼の堕落を知らないわけではなかったが、これほど明確な証拠つきで提示されると、かえって潔く思える。実際僕自身誉められた性向でもない。まして、犯される少年の涙をみずからの唇で清めるダグラスは、どこか神々しくさえ思えるほどで、自然の営みとどこも違わぬ説得力があるのだ。
 遂情を告げるブリュノの身も世もない叫びを受けて、ダグラスの運動も最終加速へ入る。今ではしがみつく力も失いかけている少年をなお容赦なく責めたて、彼は見えない頂きへと駆けのぼっていく。
 狼の遠吠えを聞いたように思う。
 森の王は背を仰け反らせ、月へ向かって終息の嘶きを上げる。あくまで威風堂々とした、限りなく高貴な表明。死の静寂と引き換えに放たれる、水先案内人を持たない迸り。
 いつの間にか、僕の鼓動は熱く脈打っていた。足が動かない。下肢が根ざしたように突っ張り、局部は布の中で獰猛に存在を誇示している。
 僕に気づいたか、ブリュノがダグラスの背後で何事か耳打ちした。それでも動けない僕は、眇めるダグラスがいいから見せておけと言わないだけで、口端で笑ったのを見た。頬がカッとしたが、それでも僕は動けずにいた。

 「…やだよ…どけったらボジ…はぅっ!」

 背を屈めるダグラスが何をしたか分かる。若い性をもっと搾り取るために、ブリュノを含んだのだ。慣れない感覚なのか、多少なり残っていた羞恥を悉く脱ぎ捨て、少年は再び喘ぎ始める。

 「やめ…あぁぁ…クソっ……見てる…見てるだろ…ほら…あ…んぅ…あん…」

 だがブリュノの未成熟な下肢は、振り切れるほど力を持たず、ただ募っていく快楽に同調して蠢くしかなかった。間もなく言葉を発することを止めた口からは不定期の吐息だけとなり、二度目の到達も間近に思われた。
 ダグラスは一度も僕を見なかった。ただ少年へ身を埋める彼が、どれほど狂喜しているか僕には見なくてもわかった。彼はこの上もなく楽しんでいた。ブリュノを犯すことよりも、彼を犯すことを他人に見せつけるというその行為に。
 嫌悪と憧憬という対極する感情に支配され混乱を来す僕は、何とか最後の理性が忠告するその場を離れろという指示に従った。ドアを閉める間際、祝祭でも告げる鐘のような嬌声が上がる。彼らよりも、僕を無闇に羞恥へと駆る声。塞いだところで、あの声がしばらく耳奥を谺することは知れていた。
 突然襲いくる疲労でよろめいた僕は、寝室のドアへ佇むジョンと目が合った。
 了解しあいながらも結局理由は明かされず、判然とせぬまま殺人を敢行する暗殺者仲間のように、どこまでも後ろめたい暗さを秘めていた。
 僕らの失速はもう間もなくだった。

 窓の外に広がる、カンスタブルの風景画。
 うららかなその日最後の陽を浴びて、2人は傍若な構成要素だ。
 ゲインズボローのブルーボーイは、うたた寝するヴァン・ダイクのプリンスチャーミングの傍らで頬杖をつき、中空を滑降するクマゲラの妙技をつまらなそうに眺めている。
 俯せる無理な姿勢が鳥の自由を無視して追わせた結果、少年の頭部は重心を失い横転する。ふいの衝撃に起き上がる男は、大して痛くもないくせに大仰に目を見開き、特権行使とばかり相手へ小言を繰り出し始める。
 年少とはいえ、彼も決して憶病ではない。応戦はテリトリー奪還の野生動物を呈し、聞こえないながら、彼らがいかに道徳的ではない語を発しているか、見る側へ知らせてくれる。
 だが二人はあくまで主従だ。言い聞かせてわからぬ者へは身体へ教え込むまで。
 罪のないブリュノの頬は、ダグラスの瞳から激情がかき消えたと同時に、打ちすえられる。水蜜桃の赤味を増していく患部へ掌を当て、痛みよりも不当な仕打ちに驚愕している少年は、みるみる怒りもあらわに相手へ喰ってかかる。
 ダグラスはまだ何事か挑発的な軽口を言っているようで、より激しさを増すブリュノの攻撃にも卑俗な笑みで応じている。
 きっと謂われなき侮辱に耐え難くなったのだろう、少年は終いに悔しさを涙へ変えた。それがますます相手を歓ばせるとも知らず。
 待ち望んだその結果に、ダグラスは歓喜を隠さず、戴冠式を控える王位継承者の晴れがましい表情を浮かべた。掴み掛かるブリュノの両手首をねじ伏せ、野辺へ倒れ込む。
 窓枠を額縁にする画から構成人物が消え、また元の遅い午後とどこかで鳴いているカケスの囀りが再開される。
 ジョンがカーテンを乱暴に引いた。届いたばかりのイエローブックを眺めているオスカーと僕は目を交わし、すぐ逸らせる。

 「どうしてあいつらをすぐここから追い出さないんです?」

 オスカーは苦笑したが、それには答えなかった。代わりに僕は目配せし、ジョンを部屋から連れ出してやった。
 彼は本能と理性の欲求バランスが崩壊しかけていた。僕ほどそれをうまくコントロールできないことに、ひどく苛立っていた。
 オスカーの側にいるだけで満足していられなくなった自分が、何より許せないのだ。無理もない。彼もダグラスとほぼ同い年なのだから。

 「わからないよ、なぜ君が黙認してるのか」

 そうじゃない。言ったところで彼にはわからないだろう。僕らはああいった悪徳を憎みながら、同時に求めている。僕はそれを理解していて、ジョンはそれを理解したくないだけだ。どれほど彼らが間違っていようとも、魂以外のその他どうでもいい彼らの何もかもが美しいことに、異論を差し挟む余地はなかった。
 絵、どころではなかった。実際、ジョンはスケッチブックすら持参していなかった。
 彼自身が新たな画布として、不評必至の前衛手法を取り入れる時期が来ている。

*  *  *  *  *  *  *  *

 その日の夕食後、オスカーが寝入ったのを確認し、僕はリビングへ戻った。
 彼にはそぐわぬパイプを銜えるダグラスが、長椅子に寝そべり僕を見た。読んでいたわけでもないらしい新聞を放って起き上がる。

 「何か飲る?」

 ジョンが見当たらない。その事実とダグラスの友好は明らかな連鎖を示していた。
 僕の訝り顔に彼は芝居がった嘆息をつく。返答を待たず、キャビネットへ立って自分のために酒をつくる。気に入りなのか、今夜もダグラスは石竹のガウンを優雅に羽織っている。
 彼と話し合いをしようとは思わない。できるとも思っていない。ダグラスの奔放は、僕らの価値観とはあまりに隔たり過ぎている。そもそも関わり合いを持つこと自体間違いだった。

 「ストップ。何が言いたいかわかっているし聞きたくもないし理解しようとも思わないから黙っててくれていい。僕が非道でろくでなしで最低のゲスってことは僕が一番良くわかってるから。ただそれは君の心の中だけで思っててくれ。いくら僕でもわざわざ他人から聞こうとは思わない」
 「君はオスカーの『ドリアン・グレイの肖像』を何度も読んだんだろう?」
 「それと何の関係がある?」

 ジョンの不在とその理由を知っているらしいダグラスは気になったが、僕は募り来る頭痛を騙し、せめてオスカーのためにならないことだけはしないでくれという要望だけは含んで欲しかったので、敢えて会話を試みた。

 「君はドリアン・グレイの表層しか見ていない」
 「……続けて」

 ダグラスはあの狡猾な笑みを浮かべると、勇んで椅子へ戻り足を組んだ。踵が潰された京劇風の見慣れた部屋履きは、オスカーのものだ。

 「君は快楽主義に溺れきったドリアンの最期に何も学ぼうとしない。デ・ゼッサントの孤独から利己主義の末路に見て見ぬ振りをしている。オスカーの警告を奨励と履き違えている。君の行動や言動は、残念ながら紳士的とは言えない」

 黙って聞いているダグラスは、珍しく真摯な態度を崩さなかった。だがそれも、次の応酬のための演出に過ぎなかったことがわかる。
 結局甘ったれた僕の期待も、単なる独りずもうに終わった。オスカーにさえ無理なのに、言わんや僕においてをや、だ。仮定の途上でもわかりそうなものだった。

 「それのどこが悪い?」
 「……何だって?」
 「申し訳ないけど君のご親切な忠告とやらは、僕にとってミサの説教より役に立たないよ。少なくともウェストミンスターでは男の子たちのかわいらしい合唱が楽しめるし。それに…」

 組んだ足を解いて立ち上がるダグラスは、大股で椅子を回り込み、マントルピースの上へグラスを置く。派手な身ぶりで利き腕の人差し指を唇へ当てた。他方の手で僕を招き寄せ、ワインセラーへの階段を下りていく。
 僕はもう何を見せられても驚かないだろう。恥ずべき感化だが、麻痺でもしない限り、こんな異常な日常を続けることはできなかった。
 前を行くダグラスの低いハミングが聞こえる。『JOHNNY'S GOOD FELLOW』。軽快なコーラス部を繰り返しながら、彼はとても楽しそうだった。大衆歌謡とは縁通い上流には随分不似合いだが、ダグラスの得意はおそらく無意識の所産だ。“良いヤツ”と歌われる男は、間違いなくジョンのことらしかった。

 「彼ぐらい近くまで堕ちてこれないようなら、僕に何か言おうとしない方が利口だぜ? 説得力が無さ過ぎるからな」

 目を閉じても、聞き慣れたブリュノの声が聞こえなくなるなんてことは勿論ない。
 ダグラスはよく見える位置までご丁寧にも僕を誘導してくれた。暗がりに浮かぶ二つの白い裸身。後ろ向きに立たされたまま、少年を苛んでいるのは痩せたジョンの肉体だ。ブリュノの声には苦痛しか含まれていないような気がする。慣れないジョンのせいだろう。
 阿片でもやって正気を失っているならまだいい。時間が限られているなら、相対するブリュノを思いやらず、ジョンが何をそれほど急いでいるのかまだ納得もできる。
 隣りで軽侮を隠しきれないダグラスが卑笑を洩らした。確かにジョンは、行為を知ったばかりでそれ以外には目もくれなくなっている、滑稽な若者に見えた。一突きごとに喉奥から吐き出される唸り声は際限なく、職人の手になる精巧な機械細工ほども規則的だった。ただ徐々に減退していくゼンマイ仕掛けと違うのは、終わりに近づくにつれ運動はより速度と激しさを増すという、工学上の矛盾だった。

 「彼、存外悪くないじゃないか」
 「…何と言ったんだ?」
 「グレイさ。ドリアンとまではいかないが、あいつもこれでやっとオスカーのこどもになれたな」

 ダグラスのその言葉に、僕は戦慄した。彼ははっきりとそう言った。
 つまりオスカーを父親として見、父親として愛しているのだ、と。
 ダグラスは父親のクィーンズベリー侯爵を兄の自殺以来ずっと憎んでいて、いないも同然だと言っている。ブリュノが4つの時、彼の父親は家を出ていった。そしてジョンの母親は、イングランド支配に対する抵抗運動の最初の小競り合いで犠牲になったアイルランド自治党員の夫と、大分以前に死別している。
 今もカナダ領事館で高等弁務官の地位にある真っ当な父がいるのは、僕だけだった。
 目眩を感じて横へよろめいた僕を、ダグラスが支える。反射的にその手を振り払い、最後の恥知らずな咆哮を上げて深い吸排から戻れないでいるジョンへ近づいた。
 壁を支える手先が震えていた。それを見ないようにして僕は彼の肘を掴み、こちらを向かせる。汗にまみれるジョンは、しかし解放された者の顔ではなかった。爽快とは無縁の澱んで虚ろな目は僕を見ているが、それが誰かまでは識別できないようだ。
 僕は自分の上着を脱ぎ、彼の肩へかけてやる。連れていこうと促す腕が一瞬強ばったが、僕をやっと確認できた視覚が哀しげに曇ると、もう抗う気概は見せなかった。
 ブリュノの痩身が崩れ落ち、億劫そうに捻った顔が恨めし気に僕らを見上げている。何も言えるわけがない。こんな茶番劇を書き上げた戯作者のダグラスさえ、捨て駒ほどの役割もない少年へ与える労いは持たないのに。

 「…お前ら…みんな…地獄堕ちやがれ…」

 露も窺い知らぬ間に、僕自身無為の少年から呪詛を吐かれる悪漢の手先に仕立て上げられたというわけか! まったくのお笑い草だった。あまりの情けなさに涙も出やしない。
 そしてダグラスはその言葉に酔いしれ、高らかに笑いながら早々に階上へと消えた。
 残された僕は、静まり返って初めてここが黴臭い地下蔵だったことに気づく。
 掴んでいた手元へ振動が伝わってきた。声もなくジョンが肩を震わせ涙を流している。顰めそうになる眉を叱咤し、僕はその肩をぽんぽんと叩いてやる。こんな時の慰め方なんてそれ以上もそれ以下も役に立たないものだから。
 泣きたいのはこの僕の方なのに。

*  *  *  *  *  *  *  *

 「…時に、ジョンの絵は進んでいるのかな」

 眼鏡を外して推敲を中断するオスカーが言う。彼は大分回復し、書くのはまだだが読むぐらいなら大丈夫、と医者から了承を受けていた。今朝から始まった原稿整理を手伝っていた僕は、何気なく呟かれた彼の言葉に硬直する。
 ジョンはどうした? オスカーは相手を困らせないように間接的な表現を使ってくれたが、直接そう聞かれた方がまだ楽だった。何と答えていいか真顔で答えに窮する僕に気づかない振りをし、彼はこともなげに続ける。

 「ここは画題が多すぎて、きっと何から始めたらいいのか迷っているんだろうね」
 「ええ、本当に美しいところです」

 ジョンは今、ダグラスとその下僕ブリュノと共に、この世で考えられる限りの悪徳に耽っています。
 とは言い出せるはずもなく、僕は休憩を幸いとオスカーの部屋を辞した。
 一大消費文明による腐敗の招く近代的な都会の汚濁と、今生の楽園に見えなくもない田園の真ん中に巣くう背徳と、どちらが不自然なのだろう。咄嗟に美しい場所と言った自分の無味乾燥な言葉がおかしくてしょうがない。
 階段を下りながらその先で待つダグラスに、僕は思わず脇へ冒涜的な言葉を呟き、引き留められるのを承知で彼を無視した。彼は決して僕へ触れなかったが、通り過ぎる間際ただ囁くだけで良かった。

 「あいつをほっといていいのか?」

 知らないぜ? 腕組みのまま僕の前方へ流し目を落とし、ダグラスは離れていく。
 噛みしめ過ぎた奥歯のせいで頬が傷んできた。握った掌が挑みかかろうする前に他方でそれを制し、僕は結局彼のあとへと続く。ここへ来てから、自分がこんなに自虐嗜好だったのを初めて知ったような気がする。
 ダグラスは当然ワインセラーへ向かった。オルフェウスも冥府への階段を、こんなもやもやした不穏を抱え、一段一段を下りたのだろうか? だが彼を待つのは死者とはいえ愛する妻だ。この先でジョンが僕を待っているわけもなかった。

 「手出しはするなよ。黙って見てるんだ。そうすればわかるぜ」

 喉を鳴らして笑うダグラスは、意味深長にそれだけ言って扉を開く。彼の戯言にはうんざりするが、何をと訊ね返し相手を喜ばせてやるほど僕も馬鹿じゃない。
 ただ僕は、それよりもタチの悪い無感動の末期症状に陥っていた。
 空をしなるつむじ風に似た促音、続く長物で牛馬を追い立てる破砕音。それが肉を裂く痛みに堪えかねて吐き出される、ジョンの甲高い呻き。いや、あるいはそれに苦痛など含まれてはいないのかもしれない。
 梁に吊るされるジョンは酷い有様だった。衣類はまるで原型を留めていない。無数の裂け目でもう何の役にも立たないのだ、外すぐらい何でもないだろう。

 「今あいつは“囚人”役だ。あれレディング獄舎の払い下げなんだぜ」

 ある方がかえって現実感と屈辱度も増すらしい。まったくどこまで爛れきった男だろう。
 多分濃紺だったつなぎはたび重なる鞭打ちで褪色を通り越し黒ずんでいる。布と皮の摩擦の他に、滲む血液を含んだせいだ。
 疲労なのか空腹なのか、そのどちらでもないのか、ジョンは足に力が入らないようで、完全に宙を揺れていた。膝を落とし、風もないのに彼を支える縄と木組みを軋らせている。
 その奥で椅子に座ったブリュノが、慣れた手つきで煙草をふかしている。半ズボンから剥きだしの膝小僧上へ、およそそぐわない数種の責め具を乗せていた。

 「誰が休んでいいと言った?」

 ガウンのポケットへ両手を入れたまま、ダグラスが少年へ近づいていく。ブリュノは畏まりもせず、二口三口吸っただけの高価な煙草を前方へ捨てた。不味かったのか頻りに舌で唇を清め、さらに赤みを帯びるそこは、やはりふてくされてぷっくり膨らんだ。

 「面白くもなんともねぇよ、こいつ。うんともすんとも言わねぇんだもの」

 弓矢を鞭へ変えただけのパルミジャニーノのクピドは、課題で作った手製の小型模型船が、自分のだけうまく水上へ浮かばないのを苛立つような不平をこぼす。天使の気紛れは天界に限らず残酷だ。そのせいで愛したプシュケを失ったのに、愛の御遣いを自負するウェヌスの息子は何も学ぼうとはしなかった。

 「そいつは上首尾だったな。下ろしてやれ」

 顎をしゃくるダグラスを受け、ブリュノはポケットナイフをとりだし、椅子へ上って縄目を切ってやる。ずた袋のようなジョンも聞こえていたろうが、依然脱力したままで転倒を免れない。両足を揃えて床へ下りる少年は彼を抱え、重そうに傍らへ置かれた寝台へ運ぶ。ジョンの苦役がこれで終わったわけではないようだ。

 「これ以上どうしようっていうんだ? 死んでしまうぞ」

 その実僕は、家畜以下の扱いで痛めつけられた汚らしいジョンに釘付けだった。彼は野の草花や孵化を待つ蛙の卵ほども意志を持たないように見えた。最もそれに近い乳飲み子よりも貴い。跳ね返すどころか、彼はあらゆる差別主義者を震撼させる一個の受容体だった。しかも底なしで、許容量は増える一方という夢みたいな受け皿なのだ。

 「そこまで親切じゃないぜ、僕は。第一本人に聞いてみろよ。といっても利ける口と話せる機能が残っていればだが」

 寝台上に胎児の姿勢で固まっていたジョンが、繋がれた両手首に重心をかけ身体を起こす。突然時の流れが1/10まで落ち込んだかと思えるほど、それはもたついた動きだった。だが彼はやがて、丸みを失いやたら骨ばった尻を高々と掲げ、けものの姿勢で制止した。必然的に十指を重ね合わせて肘をついているため、慈悲を乞うようにも見えた。
 ジョンの目の前には、きっと彼のためだけの神が降臨しているのだろう。すべての秘蹟をダグラスという代理人へ委ねた、無責任な神が。
 訳知りな笑いを浮かべたダグラスが、顎をジョンの方へしゃくって見せる。今更逡巡するのも滑稽だが、僕は唇を噛みしめ、恐る恐る上体を屈めてジョンのそこを覗いて見た。
 どこもかしこも生気に見限られたはずの彼の身体で、唯一力を宿している、いや、魂の焔が消えるその一瞬まで張りつめることも可能なのだから当然なのだが、ジョンの陰部はそこだけ別の人格が司っている生命力の臨場感を見事に証明していた。

 「…ジョン……君は……」
 「ハッ、この通り今はバッキンガムの近衛兵みたいだが、少し可愛がってやればやめろって言われてもずーっとお辞儀しっぱなしって礼儀正しい御仁なんだぜ。まだなっちゃいないが小僧から鞭貰ってこの通りだし、何よりこの淫売は酷くされんのが一等お気に入りなのさ。そりゃオスカーとのままごとじみた乳繰り合いじゃ満足させて貰えなかっただろう。ここでやめたらあとで恨まれるのはお前の方だぜ。わかったらそこで黙って見てるんだな」
 「誰がガキだよ?!」
 「喚くな。だからお前は小僧なんだろ、ブルゥ」

 詰め寄る少年の頬を軽く叩いてから、ダグラスはブリュノの尖った唇へ自分のを重ね合わせる。袖を掴んでもがく少年は、だが次第に抵抗を緩め、間もなく彼の腕の中でぐったりした。呼吸を解放されるブリュノは頬を染め苦しそうに肩で息をしたが、彼を支えるダグラスは平静と変わらず、息の乱れすら見せなかった。
 アルカイックスマイルが消えた時、いらなくなった玩具を捨てる執着の欠如で、ダグラスは抱えていた少年を脇へ斥ける。まだ脱力から回復できないブリュノは主人の冷血に怒ろうとしているのだが、残念ながら悔しさ以上の虚勢を張ることができなかった。
 そうだ、この場のあるじは、誰あろうダグラス以外ありえないのだ。
 彼は悠然とガウンを脱ぎ捨てる。寝台へ上り、膝立ちしてジョンの腰を掴む。瞬間額ずいていた者が顔を上げ、遠い目をした。続く予測される痛みへの覚悟と、大部分を締める待ち望んだ期待で。
 ジョンの口から吐き出される悲痛極まりない叫びに、僕はつい顔を背けていた。
 ダグラスはまったく暴君以外の何者でもなかった。潤滑という概念をまるで無視し、ジョンの狭さが齎らす自身だけの喜びを、生得権の執行とばかりに表明した。

 「…おぉぉぅ…ほぉ……あいかわらず…ぅう…よく…しめつける……」

 彼は心地よいあまりに寄る美しい眉も連動させ、抜き差しを始める。容赦がなかった。寸法違いの部品が起こす歪んだ軋り音など構いもせず、ダグラスは最初から激しくジョンを犯す。
 ここで僕が一つ学んだことは、彼はこういった営みにおいてさえ、礼儀や作法とは彼岸に存在する野蛮な自由人ということだ。実際これほどいきいきしたダグラスはついぞ見たことがない。
 何よりジョンの苦痛でも恥辱からでもない咽び泣きは、証文取得というあらゆる法則をあざ笑う、絶大で絶対の同意を意味していた。どれほど彼がこうされることを望んでいたか、今になってわかった僕を世界で最後に残された愚か者の気分にした。
 ふと、僕の前に蹲っていたブリュノが立ち上がる。彼は亡霊みたいな足取りで静かに近寄ると、じれったそうに編み上げ靴を脱ぎ寝台へ上がった。少年の参戦は無言なだけに幾分スマートに見えた。ジョンの顔の前へ跪き、下衣を引き下ろしたかと思うと、無邪気な顔に似合わぬ成熟した屹立を取り出す。
 ブリュノはしばらく根本を掴み、ジョンの頬を叩いたりした。彼は早まる吐息をぎりぎりで整え、ダグラスの与える振動で噛まないよう要らぬ用心も働かせ、舌先をのぞかせては自在な少年を追う。ブリュノは猫じゃらしの縦横にきりきり舞いする野良猫をからかって楽しむ、悪童の酷薄な笑みを浮かべた。

 「…欲しいか? 欲しいんならそう言いな」
 「…ほ…し……くれ…」
 「く ・ だ ・ さ ・ い、だろ?ったく要領悪ぃブタ野郎め…」

 乱暴に頭を掴んで、ブリュノは自身をジョンの口腔へ押し込む。自由にならない両腕を伸ばし、彼は無理な姿勢で肉竿を支えようとまでする。ダグラスの注挿に、ジョンも同調しなくてはならなかったからだ。
 僕はどうすれば良かったんだろう?
 全身を躍らせながら酩酊を愉しむダグラスは、いつもの皮肉を込めた表情を消し去って、僕を促した。
 構うな、ジョンは欲しがっている。お前が来るのを、待っている。
 口の中で砂の味がした。カラカラに渇いていた。
 ジョンはその息苦しささえ嬉しくてしょうがないのか、涙を流しブリュノを頬張っている。不規則だった彼らの振動はいつの間にかシンクロし、個人の意志だけでは形成されない見事な連結を生む。一人の自由よりも、互いの安定のために、自分たちのもっとも理想とする快楽を享受できる形態を採り、自然に唱和していた。
 僕はもう観客を放棄しようと思う。安楽な桟敷で演者の放埒を見る無力な傍観者ならいざ知らず、訳もなく屈辱的な気分にさせられるのはもう真っ平だった。
 背景や装置は何もないが、僕は僕にとって初めての舞台脇へ膝をついた。彼らに合わせ腹を打つジョンは、依然猛々しい緊張を見せるが、眼から口から溢れるものとはまた違った透明液で濡れていた。握った感触は表皮の柔らかさと芯の固さも微妙で、何度か滑る掌を慣らし、僕は無理にもジョンをこちらへ向けさせてやる。もちろん僕も協力は惜しまず、ジョンの身体の下へ頭を差し込んでやった。
 前菜のスープで舌を火傷しては以降の料理も味わえないものだ。だから僕は最初から全部を含む無謀な真似はしない。付け根から裏筋へ舌を這わせ、末端の窪みを細かくつついてやる。彼方から悲痛な吐息が聞こえた。空けておいた利き腕へ、僕はスラックスのボタンを外す待機指令を解いてやる。ジョンに劣らぬ灼けた怒張は、大気に晒されより容量を増していく。しかし火傷の心配が無用な分、そこへは加減知らずの暴挙を許した。
 ダグラスの満面の笑みに応えたと思われたかもしれない。でも僕が笑ったのは、またなんて甘いヤツだろう、と今まで知らなかった自分の脆弱に自嘲するしかなかったからだ。
 濡れた吐息と摩擦音と、けだものたちの飢渇を満たす原始的本能だけが、世界から置き去りにされた僕らの周りに存在する全てだった。
 夢中の一人が神を呼ぶ。それを僕は無視する。自分から戒律を破った僕には、それはもう見たこともなければ生涯会うこともない男の名でしかなかった。どういうわけか、少しもそれは僕へダメージを与えなかった。
 誰か定かではない。終焉への解放を合図に、僕らは次々とそれに倣う。放射を辿る過程がこれだけ容易でないにも拘わらず、僕らが死んでしまわないのは実に奇妙に思えた。
 尤も、誰も何も言わずとも、僕らが常にその疑似体験をしていることを知らないわけでもなかった。
 寝台に横たわる4つの抜け殻。
 充足、というよりはやはりどことなくくすぶる罪の意識を拭えず、僕は目を開けるのも面倒な深い快美感の中にいた。ジョンに触れたかったが、微かな視覚が捉えた像は、僕へ口づけるダグラスだった。離れる彼が目配せした先で、ジョンがブリュノを抱擁していた。

 「どうやら仲直りできたみたいだね?」

 光を背にした反射で判然とはしないが、見慣れたガウンの支那風刺繍模様と大きな体を窮屈そうに屈めた姿勢で、僕らは不意の声に驚く必要がなかった。

 「大好きな君たちがけんかばかりじゃ、僕としても哀しまずにはいられないからね」

 きっと彼は微笑んでいる。
 おやつの取り合いで取っ組み合う兄弟を、直接手を下さないのにどちらの言い分に加担もしなければ否定もしないまま諌めてしまう。父親に与えられるそんな強大な実力行使を軽やかにやってのける彼にとって、やはり僕らはただのこどもでしかないのだろう。
 血の繋がりがないだけ、より幸福かもしれない。例え束の間しか許されない奇形種の聖家族だとしても。

                                     FIN
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