第8回

<この世の春を謳歌する日本女性>

 やおいものを愛読する女性にとって日本がいい国(パラダイス)だと思えるのは、

 「どんなに内容が過激で残酷で差別的で女性本位だとしても、やおい漫画は成人コミックに分類されない(買うのにうしろめたくない)」

 という点である。

 多分、日本女性の多くは、肉体的にも非力で、経済力もないため、どんなに「男性を性の道具」=「物扱い」しても、実際の青少年にゆゆしき影響(例えば年端のいかないオノコを誘拐してレイプ・虐待してしまうとか、お金で売り買いするとか、シャブ漬けにしちゃうとか……etc)を与えないと考えられているからだろう。しかし、この「一人前の大人として見なされていない」かのような男女差別扱いが、こと「やおいもの」を享受するという点においては、もう「ラッキー」以外の何物でもない状況を生み出してくれているのも事実だ。「差別? OK、OK。ノープロブレム」なんである。

 が、アメリカではそうはいかない。

「恋人の前では絶対にその手の話題はできません」
「親や職場の友人には私が日本のやおい漫画を読んでいることは隠しています」
「私の彼は幸いにも理解があるので、日本書店でやおい漫画を一緒に買うのに付き合ってくれたりしますが、そういうケースは非常に例外的です」

 と、嘆く。

 日本でも職場などでおおっぴらに、成人漫画ややおい漫画を読むことは、確かにはばかられる。回りはほとんど他人である電車の中でさえ、読みやすいようにと、家を出る前にやおい小説のHシーンの挿絵部分に、ハガキやパンフを挟んでから出勤するといううら若きOL読者も多いと聞く。しかしそのプレッシャーの強さはアメリカの比ではないのである。


<カップルプレッシャーの強いアメリカ>

 そもそもアメリカはピューリタンが移住して建国したっていう経緯があるため、あからさまなポルノの話題を表社会では敬遠する傾向が強い。同性愛は子どもに良くない影響を及ぼすと眉を顰める保守的な親たちもまだまだ多く、アメリカの大手出版社が日本の普通のマンガを翻訳して売り出すことはあっても、やおい漫画の翻訳をしようという話はいまだに出てこない。企業の品位を落とす結果になりかねないからだ。

 しかし何よりアメリカ人女性が「自分のやおい好き」を他人に隠したがるのは、アメリカが強烈なカップル社会であるがためだ。相手がいないとパーティに出られないなんていっている国で、「あたしはホモが好き」なんてとってもじゃないが、口が裂けても言えないんである。

 「日本の人はなぜやおいマンガをよく読むんですか?」

 という質問メールが実に良く来るが、それは裏を返せば、

 「男性同士の恋愛を描いた漫画を楽しいと思ってしまう私って、どこか異常なんでしょうか?」

 という問いに答えがほしいというのに他ならない。

 「他人がいつ自分が付き合う相手になるか分からない」度が日本より高い(「ER」なんか見ると職員全員が常に発情状態だし……)アメリカでは、異性相手の日常会話に結構気を使う必要があるのだろう。いつまでも「カマトトぶる」というか、「女を捨ててない」っていう点で、まあ、それはそれで良い面もあるかもしれぬが、「やおい文化」にとってはあまり面白からぬ状況でもあったりするわけだ。


<フェミニストがホモを消費するという矛盾>

 ところで例のアメリカ人のメーリングリストには本物の方々(つまりゲイの方)も多数参加されている。なので、間違っても「現実のオカマさんをバカにする」ような発言をしないよう心しなければならない。常にpolitical correct(インディアンではなくネイティブ・アメリカン、ブラックと言わずにアフリカ系アメリカ人などといった政治的に正しい言い回し)な表現に努めないと、「差別だ」とフクロにされかねないのだ。

 しかし、日本のやおい漫画を見ると、「これを本物の方々にやったらりっぱな犯罪」的描写のオンパレードだったりする。

 やおい小説では医者ものというジャンルがあるが(エリートである医者は女性に大人気だ)、スラッシュ君が最近読んだ中では、

 ・かなづちの同僚(もちろん相手も男)を自宅の室内プールに突き落としてして同居を強要する。
 ・婚約指輪をすぐに外してしまい、女と浮気する相手の男性の局所に婚約ピアスを手術してしまう。
 ・ドーベルマン犬をけしかけて、毎朝ランニングですれちがう若いボクサー志望の青年を怪我の治療と称してつれ込み、自宅に監禁してしまう。 
 ・医者が2人がかりでランニングしていたゆきずりの男をホテルにつれ込んでレイプする。
 ・気弱な同僚を酔わせて、襲って、ほだされたところを捨てて、死なれて、骨になってから後悔する(遅ーえよ)。
 ・身寄りの無い自閉症の少年にいたずらした挙句、引き取ってしまう。

 な〜ていうムチャクチャな話(でも感動的!)があった。

 誰だって自分(女性)が酷い目にあうのはイヤだし、他人(ホモ男)が不幸になるのは愉しい。すると、こんな矛盾が発生する。

 ●アメリカ人で日本語を勉強してまで日本のやおいマンガを読む層は、西海岸のインテリの中年女性、つまりフェミニストとほぼ母集団は同じ。

 ●日本のやおいマンガはレイプものを筆頭に「男性の性の商品化」以外の何物でもない(名作・駄作の差はあるにせよ)。

 つまり、

 「実生活でゲイ解放運動を支持する女性が、ゲイ男性(しばしば男のコ)がひどい目に合うのを読むのが愉しい」

 という罰当たりなことになってしまうのである。

 それが証拠に、本物のゲイの方の書かれる小説では、「愛してくれる人がいるのはとても幸せなこと」的な「ベタベタ甘々な愛の世界(でも性表現はあくまでモロ)」や「ゲイだって家族は持てる」みたいなやたらと「一家団欒」が強調される、女性が読むと鼻で笑っちゃうような「ごちそうさま」的な作品が多かったりする。

 が、これはやおいだけの問題ではない。「読者が作品のキャラクターに対して支配的になりたがる」というのは、「読書の楽しみの根本」だからだ。

 運命に翻弄される主人公ほど読者には愛される。映画を見てる観客だけが、扉の向こうでジェイソンが待ち伏せしていることを知ることができる。「読者は自分は利口だと思いたいから、犯人は決まって口笛を吹く」というあれである。

 想像を絶するような苦労に子役が耐え忍ぶ話「おしん」は、ハッキリ言ってチャイルド・アビュース、幼児虐待以外のなにものでもない。まともな常識人なら想像するのも憚られる。だが、イジメ度が厳しければ厳しいほど、視聴者の感動もまた大きいということを、この作品は証明してくれている。
 
 マンガが消費されるものである以上、読者が登場人物の不幸を喜ぶという構造は免れ得ない。そして、キャリアー志向な女ほど支配的ポジションを好むものなのだ。

 オヤジなら「それでも好きなんだからいいんだよ、ワッハッハハ」と、開き直れるが、女性の多くはまだまだそこまでバラケる覚悟がつかなかったりするのが現状だ(おやじバンザイ by 西条凡児)。だからしばらくは成人指定しないでほしいが、それもまあ、経済力の向上とともに変わっていくことだろう。


<ポルノが女性の地位を低下させるという考えはおかしい>

 それでもアメリカのインテリ女性の多くはプレイボーイ誌のようなヌードグラビアは自分たちの品位を貶める、問題だ、と思っている。
 
 だが、性風俗業界で働く女性が「貧しさゆえに他に職業を選択する道がないため」ならいざしらず、自分の意思でその道を選ぶ今日のような場合は、「女性の性の商品化」だと非難するのはおかしいのではないだろうかとスラッシュ君は考えている。
 
 以前、ポルノ女優の人が出演した番組で、「ポルノ映画に出ているからってすぐにやらせてくれると思わないでほしい」と訴えて、司会の漫才師に「女優がそれをいったらいけないでしょ」って諭されていたことがあった。

 できる女優なら、「簡単にやらせてもらえるかもしれない」とお客様に幻想を抱かせるのを厭わないものであり、それは逆に「重要な戦略」なのだ。

 客のほうでもだまされているのは承知の上だったりする。

 いけないのは、それを「現実の世界と混同すること」(実際の女優さんの部屋で待ち伏せするとか、職場の同僚の女性に一方的に妄想を実行する)だ。ヌードグラビアやポルノ映画自体に罪はないんであ〜る。


<現実にはありえない愛のファンタジー>

 それがどんなに不道徳で差別的であっても頭の中で妄想する自由までは誰も奪うことはできないし、すべきではない。

 その妄想を実行したら、変質者だったり犯罪者だったりしても、想像する分にはすべてが許されるべきだ。ストーカーは今日の社会では深刻な問題だが、「やおいの世界」では「日常茶飯事」、微笑ましい愛すべき行為だ。

 どんなに異常な自分勝手な行為も、「愛のなせるワザ」という大義名分ですべてが許されてしまう。

 要するに「現実にはありえない愛のファンタジーを実現する」世界がやおいなのだ。

 ある有名な美少年画家が「やおいに対する女性の嗜好」を「宝石」に対するそれにたとえていたが、「やおい」は、実用品ではなく、贅沢品であって、生きていくのに必要ないが、あったら楽しいもの。そういうことなのだ。だから、現実の恋愛(実用品)の代替には決してなりえないし、差別や犯罪を助長することはないし、現実生活で正常な恋愛ができなくなるわけでもないのだ。

 逆にすべてのポルノ作品を残酷、低俗、異性をバカにして、表面的な見方しかできないと、その底辺に流れる強烈な愛や、人間がどこまで残酷で異常な存在になりえるのかという問題や、愛することが同時に傷つけることでもあるという矛盾などが表現されている崇高な名作を見そこなってしまう恐れが少ないない(まあ、だからといって死ぬような問題じゃないけど)。だから臆することなく、ドンドン妄想を膨らませてほしいものだとスラッシュ君は願ってやまない。

 しかしながら、心の中で思う分にはどんなことを思ってもいいとなると、どうやって信仰k心とバーチャルワールドとを個人の中で両立したらいいのか? という問題は残る。宗教観の薄い日本でバーチャル産業が流行るのは分かるような気がする。

 アメリカのスラッシュはリアル、やおいはよりファンタジー色が強いが、ベースが一方はドラマであり、他方はマンガという違いのせいもあるだろうが、日本人がバーチャルなことを抵抗なく受け入れやすい国民だからというのもあるのだろう。ゲームやアニメなどバーチャルな文化で世界をリードしている日本が、やおい漫画の先進国であるのは当たり前といっちゃ当たり前なのだ。平和な日本ではアメリカほど深刻な犯罪が起こらず、「暴力表現などバーチャルなものが現実に与える影響」に目くじら立てずにすむっていうのが本音だったりするのかもしれないけどね。


<よくぞここまで来たもんだ>

 今回、あれこれと理屈をこねてきたけれど、結局は、「いまだにヌードや同性愛に対して厳しい国がある中、今日、日本女性が堂々とポルノである『やおい漫画』を読めるようになったというのは、大変喜ばしいことである」ってことが言いたかっただけなのだ。いやあ、よくぞここまで来たもんだよ。うるうる。

 一昔前までは女性向ポルノマンガは皆無だったものなあ〜。

 その代わりを果たしたのが、スラッシュ君にとっては、宮谷一彦であり、石井隆だったりした。
 
 もちろんこれらは男性用なので、描かれているのは男女間のセックス(セックス自体はアブノーマルプレイもありかもしんない)だけど、女性が読んでも感動できるポルノ作品としての要件を十分満たしてくれた。 

 宮谷一彦の漫画では性欲をもてあます(やりたいだけの)若者の苦悩や残酷さが生々しく描かれていたし、石井隆の漫画では、女性がしょっちゅうレイプされ、「所詮クソ袋だ」と唾棄されながらも、そんな女性から逃れられない男性の悲しいサガが描かれていた。人間が持っている残酷さときちんと向き合い、自分の本性をつきつけられるという点では画期的な作品であった。やおい漫画でそれが読める今は、より「他人事モード」の享楽度が強まり、感動の度合いがより純化され、より深くなった。ありがたいことである。ふう。

 その頃は「男性ポルノ漫画が好きだ」といって、随分その筋の人には迷惑をかけたやもしれませぬ(売り場とかで)。すみませんでした。もし、今、やおい漫画がなければまだ町野変丸とかを読んで(今も読んでるけど)いたのかもしんないなと、妙に感慨深いスラッシュ君だっとさ。

(次号へ続く)

[文:スラッシュ君 000502]

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