第11回

<やおいものの名作は近親相姦ものにあり>

数多いやおい漫画のジャンルの中でも、とりわけ名作の宝庫なのがこの「近親相姦(incest)もの」と呼ばれるジャンルである。次に挙げるのはやおい漫画の中でも必読に値する名作なので、夏休みの折、未読の作品があれば是非この機会に一読をお勧めしたい。

義理の兄弟は無数なので割愛するが、近親相姦はそれを否定的にとらえる度合いによって3つに大別される。まずは、最も否定的にとらえる作品から挙げてみるとしよう。

●「無理やり的虐待型」近親相姦もの

萩尾望都『残酷な神が支配する』(養父に性的虐待を受けるが母親には言えず、人格崩壊に至る……って連載中なので結末はまだ分かりません。ジェルミには幸せになってほしいです。マジで) 
今泉鶴子『無限の果て』(トラウマのために死に至る。心に受けた傷は簡単には克服されないという非情な現実を思い知らされる名作)
坂井久仁江の『花盛りの庭』(同名のコミックのほかに『架空の園』『約束の家』を含む大人気シリーズ。母親が浮気してできた息子が父親から無理やり関係を強いられる)
明治カナ子『甘い針』(父親と息子、兄と弟など近親相姦のオンパレード。犯れるばっかりで散々な息子だが、いつも最後には父と兄の泣きが入り、彼らを許してしまう)

などがある。最後の『花盛りの庭』と『甘い針』だけは、「愛に対して不器用な父や兄へを家族である自分だけは見捨ててはならないという「自己犠牲的な愛(要するに家族の絆を維持するためのスケープゴートにされているだけなのだが)」が感じられるものの、無理強いを強いられる構造に変わりはなく、当然ながらこのサブジャンル作品のテーマ・雰囲気は重く、かつ暗い。愛の残酷さや人間の本性を突きつけられ考え込まされることが多い。

むこうのスラッシュ文学で近親相姦が描かれる場合は大抵、近親相姦が登場人物のトラウマを形成する悪しき原因として描かれている。近親相姦は禁忌でありタブーなのである。従って上記のような「無理やり的虐待型」近親相姦ものは西欧では理解されやすい。「欧米型近親相姦もの」と呼んでもいいだろう。


●「タブーと知りつつ激しく愛する」近親相姦もの

次に挙げるのは、無理やりではないものの、関係そのものにはあくまで否定的な雰囲気が漂う作品群である。

笠間留美『彼と彼』『彼がドアを開けた』(に含まれる兄弟ものの短編。別居中の兄が実家に戻ってくるが、待っていたのは兄よりでっかく育った男前の弟。その兄に縁談が持ち上がったのを知った弟は……。Hなセリフを言わせたら日本一淫靡な作者の不朽の名作)
鳥人ヒロミ『年上の人』(姉に虐待しされていた息子を引き取り、養育するうちに、叔父と甥の危険な共依存関係に陥る。シリアスなやおい漫画の最高傑作といわれる永遠の名作)
森脇真末味『ブルームーン』(子ども嫌いの母親に心理的に間引かれた双子の兄が弟を支配するという強固な共依存関係からの脱却を描く。一見コメディーかと思わせてその実、テーマは非常に深く重いという侮り難い名作)

他にもこの手のサブジャンルには、由良環『Blood』、黒川あずさ『FOUL』、秋里和国『JAZZ TANGO』『DEAD END』(すべて兄弟近親相姦もの)など名作がひしめいている。

ホモでしかも近親相姦という2重のタブーを超えた愛だけに、その愛はひたすら「激しく」、必然的にドラマチックな作品が多くなるのだ。この「タブーと知りつつ激しい愛する」というサブジャンルこそ近親相姦ものの王道であろう。 


●「脳天気型」近親相姦もの

最後に紹介したいのが、近親相姦に対する罪悪感がこれっぽっちも感じられない、あっけらからんとした作品だ。

初田しうこ『懺悔』(妻に先立たれた夫が、妻の父親、つまり舅に長年の愛を告白するという短編が収録されている。しかも舅受け。婿と舅の血縁を超えた愛が、やおい界の『東京物語』と言われている)
加藤冬紀『THE神田兄弟』『ブレストブラザース』(同じロックバンドに所属する兄弟の愛と音楽の日々。始終いちゃいちゃしている兄弟がほほえましいの)
CHI−RAN『MAD★PAピーッ』『I WANT・パパ』(かわいい息子と息子を猫かわいがりする美しい父親の脳天気でSMチックなコメディー)

これらは皆コメディーで、雰囲気はものすごく明るい。「家族だからもともと好きな上に相手が人一倍ステキなんだからなおさらじゃん?」と言わんばかりだ。これはもう、欧米では「考えられないこと」であるらしい。つまり日本独特の価値観があってこそ成立する極めて特殊な近親相姦ものなのである。とはいえタブーに真っ向から挑戦するという気負いは全く感じられない。ひたすら、「こうだったらいいのに」というやおいの基本である、「女性にとって都合のいい妄想」だけでつっ走る姿勢には、潔さすら感じるほど、である。


<ライバルはつらいよ>

そもそもなぜ西欧ではこれほどまでに近親相姦がタブー視されるのだろうか。血縁婚による子孫は遺伝的に問題があるため宗教上のタブーとされた以上に、現在の西欧社会では、近親相姦が児童虐待、つまり、「年長者(父親や兄や叔父)が年少者(息子、弟、甥)の意志を無視して、肉体的精神的に支配してしまうこと」につながるからというのが、「考えただけでゾッとする」理由なんだそうである。アメリカ人読者の多くは、

「自分の意志で行動できる・判断を下せる独立した大人になって初めて、恋愛する資格が出来る」

という。それだけに年齢が離れていれば離れているほど、その近親相姦関係には嫌悪感が増す。「年の近い兄弟(siblings incest)ならまだ許せるが、親子は絶対イヤ」なんだそうである。 

しかし、日本人の近親相姦ものファン(というのがいるのかどうか怪しいが)に言わせると、

「優位差がハッキリしていないと萌えない」

という。これは前回のテーマである「対等愛」のところでも出た日本人特有の年長序列的な精神構造によるものが大きい。

「対等」というのは、必ず「競争」を伴う。映画『エデンの東』の元になった旧約聖書の「カインとアベルの物語」がいい例だ。西欧では、「兄弟は始めからライバル」なのである(ただし向こうの人々に言わせると最初のライバルは「アダムに対するイブ」なんだそうだ。男女がライバルになるという発想自体、日本では考えられなかったりするのに……「天照大神とスサノオノミコト」みたいな「姉と弟」でやっとライバルかな?)。

が、ライバルというのは悲しい。特に姉妹ものでは「姉と妹が一人の男をめぐって骨肉の争いを繰り広げる」話が多くて、なんともやりきれない気持ちにさせられる。子どもの頃は『シンデレラ』、OLになったらトレンディー・ドラマ(かなり前になるが石田純一の優柔不断ぶりが話題になった『クリスマス・イブ』や最近では『週末婚』。どっちも脚本は内館牧子で松下由樹が主演なんだよなあ。なんでなんだろう)で刷り込まれるわけだから、いい加減ウンザリする。「いい男を捕まえる以外に幸せになる方法はないんか〜い」と。

ところが現実では、昼間のファミレスやチビッコ水泳教室のロビーにたむろする母親同士が寄ると触ると、その場にいない母親の悪口で盛り上がっていたりするのだから、「女辞めたい」気分に駆られるのはスラッシュ君だけではあるまい(あ〜でもそこで仲間に加わらなかったりすると、ノケモノにされちゃうんだよねえ。それか「魔性の女」呼ばわり)。

それに比べて、日本の男の兄弟というのは美しい。何たって『NIGHT HEAD』(飯田譲治脚本の深夜ドラマ。超能力を持つ兄弟が助け合いながらサバイバルしていく物語。徹底的に弟を守ろうとする兄の姿が心を打つ。弟武田真治が兄豊川悦司に向かって「頭が痛いよ、にいさん…」というセリフはあまりにも有名。残業に疲れたキャリアーウーマンが深夜にこれを見てどんなにか癒されたことか……)だもの。いくら関東で若い子に人気があって、年収が高いかろうが、吉本の若手漫才師はやっぱり「オクレ兄さん」と呼び慕っている。雑誌には「兄貴募集」って広告も出てるし……(どこに?)。

あちらでもラップ系の方々がお互いを「ブラザー」と呼び合っているが、この呼称には「上下」がない。イタリアン、ヒスパニック、アフリカンの方々などのエスニックな民族に属する人たちが強い結束を強調するために「家族」的な呼称を用いているだけで、日本の「兄さん・兄貴」のように「弟・息子は兄・父への絶対的服従を誓い、兄・父は弟・息子の面倒を徹底的に見る」という安定した上下関係を表すようなニュアンスは全くないのだ。

日本でいう「血の絆」には必ず「はっきりした上下関係」が不可欠・不可分なのである。そしてその絆は永遠に失われることがない。

それに比べると男女の愛、特に「結婚」はあくまでも「条件による恋愛」だ。よく「結婚は愛だけじゃ成り立たない」といわれるが、生きていくためにはいろいろと必要なものが多い(特にお金ね)。その関係は「ギブ&テイク」を基本としている。要するに「条件婚」、というわけなんである。せちがらいと言えばその通りなのだが、それが現実というものなのだ。

これが父子、兄弟なら、「どんな自分でも無条件で愛されるのに」と……まあ、早い話が、あこがれてしまうわけよ。


<おバカな弟ものならOK>

それは西欧人とて同じだ。ではどうするか? 

彼らは勢い弟を「脳損傷などで体に障害があるがために、努力しても兄とは対等には成りえない」存在にしてしまうのである(ひどい)。

そうすれば「ライバル問題」を回避できるとあってその手の映画・ドラマは数多い。

『ギルバート・グレイプ』(兄はジョニー・デップで弟はレオナルド・ディカプリオ! ああ、なんてゴージャスな兄弟なんでしょう〜)
『OZ』(アメリカの躍進目覚しいケーブルテレビ局HBO制作の監獄ドラマ。毎回オールヌードが披露される。囚人で悪知恵の働く兄ライアンの弟シリルは兄の代わりに殴られて5歳児以下の知能しかない。同じ監獄に送り込まれた弟を必死で守る兄の姿が萌える。実生活でも二人は兄弟。で、スラッシュ君はアメリカからビデオを入手して見ています)
『二十日鼠と人間』(実際の兄弟ではないが、ゲイリー・シニーズが弟分のマルコビッチの面倒を徹底的に見てやる献身的な姿に涙が……)
『ブギーナイツ』(デカマラだけが取り得のポルノ男優を演じるウォールバーグを囲んで、ポルノ女優や監督やスタッフたち、社会のはみ出しものが擬似家庭を形成する。弟分はそうです! あのオタクカメラマン。良かったよね〜、けなげで一途で)
『フェイス』(銀行強盗の仲間割れ話。最終的に助かったのが主人公と主人公を犬のように慕うトロい弟分。ロバート・カーライルのルーザー的演技が光る)

本当の兄弟でなくとも、日本の兄弟のように絶対的な庇護者・被庇護者の関係に近い兄弟萌え燃え世界がちゃんと描かれているんである。 

ここでの兄はどんなに辛くても不自由でも、弟を見捨てたりはしない。たとえそのために人並みの幸せを諦めようと、女性と結婚できなかろうと、絶対に。無償の、普遍的な愛で二人は結ばれているのである。やおい女を「ああ、あんな弟のように徹底的に甘えさせてほしい」と思わず唸らせる、そこにあるのは「どんなにダメな自分でも愛して欲しい」という徹底した「甘えの関係」なのだ。

どんなに虚勢を張ってみても、やっぱり辛いときには「甘えたい」というのはアメリカ人とて同じなのではなかろうか……。

ただし、この「甘えたい願望」の程度がやっぱりあっちの方たちは日本人より少ないらしく、

「知能が劣っている弟ものは嫌いです。現実では食い物にされるのがオチだって」とか、やくざものやおいの名作、逢坂みやの『FACE』を「『やくざの世界ははみ出し者が肩を寄せ合う家族』とかいうけど、ちっともいいと思えない。不自由で辛そうなだけ〜」という人もいたりする。やっぱり根本的には「対等・競争・独立好き」なんだよなあ。

『ブルームーン』の双子の兄は結局、弟と離れるために、「アメリカ国籍」を取得する。「近親相姦=共依存」関係からの脱却のために「日本人」から「アメリカ人」になるというのが、実に象徴的だったよな……。

(次号へ続く)

[文:スラッシュ君 000807]

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