第13回

<女性にとってはなぜか永遠のテーマである「成長もの」>

 主人公が作品を通して成長していく話は、本来、「少年・少女漫画」にこそふさわしいテーマである。が、この「成長もの」というのは、やおいものにおいても、「対等愛」「近親相姦」と並ぶほどの、メジャーなテーマだったりする。

 例えば、やおい小説の古典的名作、秋月こおのフジミシリーズ(『寒冷前線コンダクター』に始まる大長編)などは、典型的な「成長もの」である。町の素人オーケストラのセミ・コンダクターである悠季のバイオリニストとしての才能を見抜いた天才指揮者、桐ノ院が愛と厳しい指導で悠季を一流の演奏家に育てるという話だが、読者は小学6年生から中年女性までと幅広い。

 この悠季と桐ノ院の関係を少女漫画の成長もの名作『アラベスク』『エースをねらえ!』(テレビドラマ『スチュワーデス物語』もこの際だから入れておく)と比べると次のようになる。

守村悠季=ノンナ・ペトロワ=岡ひろみ=松本千秋こと堀ちえみ
桐ノ院圭=ユーリ・ミロノフ先生=宗方仁コーチ=村沢教官こと風間杜夫

 なので桐ノ院が楽団を辞めたいと弱音を吐く悠季を「レイプする」のは鬼監督が「田舎に帰れ!」と叱っているのと同じ図式なのである。

 い、いや、そういうことを言いたいのではない。ここで問題なのは、

「なぜ、この手の成長ものをいい年した女の人が読んで楽しいのか?」

 という点なのである(私は師弟・根性ものなんか嫌いという人はこの際、置いておく。一般的に言って真面目で向上心のある女性は好きみたいだ)。

 それを説明するために、この夏スラッシュ君のところに来た意外なメールについて、触れてみたい。 


<日本語を学ぶのに学校でやおいマンガを紹介したりはしない>

 それはとある英語学校のサイトに記事を書いているライターさんからのメールで、拙者のスラッシュ対訳サイトのURLを紹介してもいいかという許可を求めるものであった。そのことをアメリカ人に告げたところ、かなり驚かれた。「外国語の勉強にスラッシュを紹介するっていう感覚はアメリカでは考えられないわ。日本語を教える大学はいろいろあるけど、やおいマンガをそのために紹介するようなクラスは皆無だもの」と。

 彼女が言うには、
「アメリカでは、日本語を勉強する人が皆、やおい好きな女性とは限らない」
というのだ。

 ま、もっともな意見だ。

 では逆に日本ではなぜスラッシュサイトが英語学校のサイトに取り上げられたりするのだろうか? スラッシュ君はアメリカ人にこう説明した。

 1)英語に限らず日本女性は勉強が好きでカルチャーセンターの生徒や資格学校の生徒は圧倒的に女性である。
 2)女性はやおい(=スラッシュ)好きである。
 3)だから日本の英語学校ではスラッシュを取り上げるのである。

 1)についてはアメリカでもさして変わらず、スラッシュ君が前にいた外資系企業でもアメリカ人女性のほうが勉強好きだった。スラッシュ君が本国アメリカから年次報告会に来ていた新卒の幹部候補生女性をランチに誘ったところ、「夜間大学院の勉強をするからいい」と言われてしまい、彼女は食事代わりに液体プロティンを飲んでいた。男性アメリカ人はやれ「鎌倉や京都に連れて行け」と言うのに。そして、アメリカでも「スターウォーズ・エピソード・ワン(ザ・ファントム・メナス)」のスラッシュ(クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービの師弟モノ)は超人気である(セクハラ訴訟大国だけあって、日本で超人気のジャンル、「先生と生徒もの」やおいの人気は今ひとつだが、「架空の国の架空の時代のいい男の話」ならOKみたいだ)。

 で、アメリカ人と話していて達した結論は、

「女性の多くはいまだに『自分はまだ発展途上であり、勉強によって現状を改善できるかもしれない』という理想・幻想を抱いているからではないか」

 ということだった。それゆえ、いい年なのに「成長ものやおい」を読んで感動してしまうのだろうと。


<「まだイケる」女 vs「この辺でいいや」男>

 この女性の勉強好き、自己研鑽好きという傾向は日本では、もう、あちらこちらで見られる。スラッシュ君も同級生女性から「夫が結婚した途端に家でゴロゴロしはじめた」などとグチられることがあるが、彼女の言う正しい休日の過ごし方とは、「常に新しい情報を求めて、美術館やイベント、流行のレストランやクラブ・ショップなどを精力的に回る」こと、らしい。結婚前はそうしていたというのだから、かなり相手の男性はムリしていたんだろう。ご苦労なことである。

 では男性にはそういう「いつまでも勉強したい!」欲求はないのだろうか?



<まだイケるかも女との付き合い方>

 と思って先日テレビブロスという雑誌を読んでいたところ、オタキングこと岡田斗司夫氏の連載コラムに興味深い記事が書かれていたのを発見した。

 周囲に行き遅れオタク男が溢れているのを見かねた岡田氏は、やはり周囲に溢れれるヤオイ同人女に注目し、双方を見合いさせれば一挙に問題(=お互い危ない趣味を持つのでなかなか相手が見つからないということですね)が解決するのではないかと思ったのだ。で、オタク男たちも大いに乗り気だったので、ヤオイ同人女に持ちかけたところ、冷たく拒否されてしまったんだそうだ(それを聞いて男のほうも「そこまで相手に困っていない」とムッとしたらしいが)。氏は「こんなに名案なのに、なぜなのか〜」と頭を抱えていた。だが、傍から見ていかにも「お似合い」と思う若い男女に対して、年配の人が薦めようとすると、女のほうが納得しないということはオタク・同人女に限らず、「よくある話」である。それはなぜか?

 女性は「(勉強さえすれば)まだまだ自分はイケる」と自分の可能性を捨てきれない(「まだいい男は見つかる」と高望みする)のに対して、男性は「この辺でいいや(学生じゃないんだからもう勉強は卒業したい)」と達観してしまっている(「ちょっとばかり欠点があっても家事をやってくれて、Hができればまあ、いいか」)からなのだ。

 男性は教育ママを筆頭に、周囲の期待に煽られるだけ煽られて上の学校へと進学し、OB訪問などをしまくって企業に入社するなりして、今の自分になっている。いわば「やるだけやった百恵ちゃん」状態なのである。それに対して女性の多くは、その機会(それが楽しいものではないにしても)を十分与えられてこなかったのだ。いや、「周囲からの過剰な期待、それに対して自分の限界を知り、やるだけのことはやったという一定の達成感を得る」という成長に必須な基本的過程を経ていない多くの女性は、いまだ大人になっていないのかもしれない。

 そして同人女は同人市場という活躍の場を持ち、「自分が社会的に注目される快感」(=生甲斐)の何たるものかをなまじ知ってしまっている。

 これではいくらお見合いをアレンジしてもうまくいくはずがない。では、やおい女とカップルになりたかったら(って、なりたくないか? 普通。じゃあ同業の後輩で、飲み込みのいい、けなげな女の子っていうのでも可だ。そっちにも使えるから安心して)どうしたらいいだろう? 

 ならば、やはり伝統的な成長ものの作品に教えを請うべきであろう。さて、ここから先はオタク男にとってものすごくありがたい教えなので耳を済ませて心して聞くように。と気を持たせたところで続きはまた今度ね。

(次号へ続く)

[文:スラッシュ君 001106]

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