第26回

<バカな女と呼ばれても「ソングフィック」はやめられない>

 欧米の同人小説(ファンフィック)のうち、既存の歌を題材にしたものは「ソングフィック(songfic)」と呼ばれている。ヒットソングを引用すれば安易に読者を感動させることができるため「ソングフィック」というとやや軽蔑した響きがある。

 だが、いくら馬鹿にされてもスラッシュ君はソングフィックが大好きだ。歌を引用したいという欲求は人間の本能じゃないかとさえ思っている。

 JASRACの手前、気軽に歌詞を引用することはできないが、創作初心者にとって歌の引用ほど便利なものはない。面倒なことはみんな歌がやってくれるのでお手軽だし、何より歌そのものが創作のいいきっかけになるからだ。

 もっとも歌の引用は素人だけがやるとは限らない。あのアメリカドラマ界の鬼才(FOX談)デビット・E・ケリー(注1)は自作のドラマの中で夥しい数のアメリカン・スタンダード・ソングを流している。最近また第5シーズンの放映が始まった『アリー・myラブ』なんか、半分以上ヒットソングを被せてるだけじゃないの? と思えるほどの多用ぶりだ。この番組で使われたおかげで、再び世間の注目を集めることになった往年の名歌手が続出する程、彼の歌の使い方は絶妙なのだ。

 新古今集の時代には、有名な古歌の語句を和歌、連歌などに取り入れることは「本歌取り」といって、「新しい歌に、慣れ親しんだイメージを加えることで、プラスアルファの価値観を生み出す」表現手法として尊ばれていた。文学に古典や詩を引用するのは「教養」とされるのに、引用されているのが流行歌というだけで、ソングフィックが馬鹿にされるのはおかしいと(引用に金を取られるのは悔しいと)スラッシュ君は思うのだ。


<原曲を知らないとソングフィックは楽しめない>

 ドラマの場合、歌が流れて字幕が出れば原曲を知らなくても何とかなるものだが、アメリカ人が日本の同人誌を読む場合はそうはいかない。懐かしモノと呼ばれる漫画をアメリカ人が読む場合、日本の昔のCMやアニメソングを知らないがために面白さが十分理解できないのは気の毒だなと思うことがしばしばある。そんな時はさりげなく教えてあげるのが人の道だ。

 先日もアメリカ人から、「ガンダムW(GDW)の同人誌(ゼクス×トレーズ)の日本語の粗筋と詩を訳してくれ」というメールが来たので見てみたら、詩の部分はシャンソンの名曲「サン・トワ・マミー」だった。なかなか洒落た使い方で思わずニヤリとしてしまったが、もともとこの曲はベルギー人、サルバトーレ・アダモの曲で、日本では岩谷時子の名訳で有名だ。越路吹雪が歌っていたが、若い人にはTV番組『やっぱり猫が好き』のエンディングで流れた忌野清志郎のヴォーカルのほうが有名かもしれない。

 アメリカ人がシャンソンを知るはずもなく、スラッシュ君は英訳してやったが、一部、「街に出れば 男が誘い ただ意味なく つきまとうけど」の「つきまとうけど」の主語が、誘われている当の女性のことなのか、誘った男のほうなのかよく分からなかったので、「アダモのサイトに原曲(フランス語)の歌詞が載っているんでその辺はヨロシク」とアメリカ人には言い添えておいた。

 すると早速アメリカ人からメールが来て、「岩谷の歌詞と原曲とは随分違うけど、岩谷のほうがいいですね」とフランス語の原曲を英訳して送ってくれた。

 ここでは岩谷の歌詞は引用しないが(無断掲載しているサイトを探すなどして、できれば比較していただけるとありがたいスが)、原曲をアメリカ人が英訳し、それをスラッシュ君が和訳するという伝言ゲームみたいな結果なら、まあ大目に見てもらえるだろう。

「あなたがいないと、ろくでなしなあなたがいないと」

何もかも終わってしまった
あなたはもう信じてはくれない
チャンスをくれといくら訴えても

後悔してもあなたは知らん顔
あなたに落ち度は無いでしょうけど
今回だけは大目にみてほしい

二人で生きてきた楽しい思い出に免じて
二人が信じてきて今は失われてしまった愛に免じて
 
あなたがいないと、ろくでなしなあなたがいないと
時というのはなんと残酷なものだろう
ただ毎日毎時間が希望の無いまま沈んでいく
あなたがいないと、ろくでなしなあなたがいないと(※)

あなたがいないと、ろくでなしなあなたがいないと
私は方角を失ったまま航海する船のようなもの
真っ暗な空の下を航海するようなもの

そう思いながら通りを歩いていると
大勢の女の子が「私たち(us)」を誘惑する
その無邪気な雰囲気が私たちを苦しめ 私たちにからみつく

また私はあなたのそばで
私という船をあなたに任せたい
わたしを導いてほしい
あなたは私の大事な星だから

(※くりかえし)


 気になる原曲の主語はなんと「私たち(us=nous)」だった。そして岩谷の訳詞で「男」というのは原曲では「女の子」だった。「私たちって何よ? これってホモの歌なのか?」ってスラッシュ君が聞いたらアメリカ人に大笑いされた。

 結局「私たち」の謎は解けないままであったが、改めて岩谷大先生の改訳は元の歌詞が表すイメージに比べてず〜っと良くなっていることが実感できた。そう。岩谷の訳が元の歌詞と違うのは当然だ。岩谷は宝塚の男役のスターであった越路吹雪がシャンソン歌手として独立を決心した際、「原曲では絶対に歌わないで」と念を押した張本人だったのだから。

 当時、宝塚ファンのための月刊情報誌『歌劇』の編集長だった岩谷は「だったら私も辞めて東京に行く」と、天才肌で雑事に疎い越路のためにマネージャー代わりを努め、訳詞がないと知るやシャンソンの翻訳まで行ったのだ。 

 元々翻訳家でもないし、作詞家でもなかった岩谷は、ひたすら越路吹雪のために独自の和製シャンソンを作り出したのである(注2)。


<越路吹雪と美輪明宏と美川憲一と……>

 シャンソンは昔、とても流行った。そしてシャンソンといえば美輪(丸山)明宏だ。スラッシュ君は実家が東京だったので、親戚が上京する度に銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』に連れて行ってあげた(今に至るまで親戚から何らのコメントもこの件に関して寄せられていないことを鑑みるに……)。非日常な空間の中で、ジャック・ブレルの『行かないで』などのような壮絶な女の生き様を歌い上げる歌詞を聴くにつれ、強烈なカタストロフィーと共に「平凡な人生を送る自分がいかに幸せなのか」しみじみ実感できたものだった。

 それにしても「なぜ、宝塚の男役と女装歌手がシャンソン」だったんだろう? と考えているとフランス人からメールが来た。

フランス人「古い日本の流行歌のカセットテープを持っているんですけど、下記の歌を歌っている男性歌手について何か知ってたら教えてもらえませんか?

『アメ ノ ナカ ノ フタリ』(雨の中の二人)
『ヨルソラ』(夜空)
『スバル』(昂)

 彼らの声はとってもゴージャスなんで、どんな歌手なのか知りたいんです」 

 という。漫画『俺節』ファンのスラッシュ君は、上記の歌を歌っている橋幸夫、五木ひろし、谷村新司について得意げに解説してあげた。

スラッシュ君「橋幸夫は歌がうまいのでどんな歌でもイージーに聞こえる天才です。例えて言うならカレン・カーペンターズですね。元アリスの谷村新司は声の強弱の使い分けがすごく巧みで、特に後者の声はセクシーで、深夜放送のDJとしても彼は非常に人気がありました。五木ひろしはヒット曲『よこはま・たそがれ』まで何度も名前を変えたことで有名です。それに次ぐヒット曲『待っている女』にも言えることなのですが、女心を歌う際に感じられる強烈な説得力はそんな彼の苦労の賜物と言えるでしょう」

 『よこはま・たそがれ』や『待っている女』のように男が女性の心情を歌うという風変わりな様式が日本の演歌にはある。逆に水前寺清子のように女性歌手が男性歌を歌う場合もある。クロス=ジェンダード・パフォーマンス(CGP)と呼ぶんだそうだが、ムード歌謡とかのCGPは、大きく分けて2つに分類されるとスラッシュ君は思う。

1)愚かな女(「バカな女〜」という歌詞に代表される)になって自分の弱音や感情を思いっ切り吐き出してみたい型

2)セックスしてくれてしかも母親のような女性(現実にはいない)に優しく励まされたい型 

 1)のタイプはスラッシュ君も結構好きで、『新宿の女』とか『フランシーヌの場合』とか普段でもよく歌っている。やおいアニメが増え、情けなげな受けの心情を歌った主題歌が作られるようになった暁には、まっさきにカラオケで歌うことだろう。2)のタイプは自分で歌うことはないけれど、ファンタジーとして聴く分にはギャグとして楽しめる(注5)。

 上記2つに比べるとややマイナーだが、「ひたすら愛のために生きる(男のためではない)フランス映画のような潔い女性」を歌う歌もある。女性が好きになる男性歌手CGPはこのタイプだ。

 『よこはま・たそがれ』『待っている女』はどちらも山口洋子の作詞だが、作曲は藤本卓也だ。藤本が作詞・作曲した『あなたのブルース』『真赤な夜のブルース』『まぼろしのブルース』(注6)などの変だけど強烈な歌にスラッシュ君は子ども心にもドキドキした。この手の女の情念のような歌をスラッシュ君は『スター誕生』で覚えた。川内康範作詞の『骨まで愛して』とか、(北原ミレイは女性歌手ではあるが)阿久悠作詞の『ざんげの値打ちもない』など、遠足のバスの中で周囲を思いっきり引かせたい時などには最適な歌がゴロゴロしていた。

 なかでも一番シビれたのが、美川憲一の『お金をちょうだい』(注7)だ。スラッシュ君が小学生時代、最高の愛唱歌だったが、歌うのは実は難しい(なので選ばないほうがいいと阿久悠先生らは仰っておられたが、美川がうますぎるのでそうは思えず、つい選んでしまうスタ誕出場者は当時絶えなかった)。で、聴いた途端、スラッシュ君は叫んだ。

「なんてヤな女なんだろう! でもなんてカワイイんだろう!」

 そしてスラッシュ君の脳裏には走馬灯のようにサ〜アアアアッと、一編のソングフィックが浮かんだ。歌はドラマというけれど、ソングフィックが浮かぶ歌ってやっぱ名曲なんだろうな。

 では、スラッシュ君作 ソングフィック「お金をちょうだい − 東京ディープ・サウス 羽田の女」をご披露……

 と、その前にJASRACに怒られない程度に原曲の紹介をしておこう。

原曲のストーリー)別れるなら手切れ金をくれと女は悪ぶってみせるが、金額はオトコの言い値でいいという。その金で女はアパートを借りて1人で暮らす覚悟であった……。

 これを聴いて思い浮かべた話は以下のようなものであった。くれぐれもソングフィックなので出来が悪くても怒らないように(注8)……。

 ……ご苦労様でした(汗)。というわけでこの歌はスラッシュ君的には「一見、男の幸せを願っているようで実は自分の愛に忠実に生きる怖い女」を歌っているように思えた。そして歌舞伎舞踊の「道成寺」などに見られるように、この手の嫉妬深い女性はしばしば男性が演じたほうが綺麗で(生々しくなくて)ドラマチックだったりする。


<日本に生まれた女やさかい>

 自分の欲望に忠実に生きる情念の女を演じたり歌ったりすると=>女優や歌手本人が「嫌な女」に見えてしまう=>その結果男性ファンに受けが悪くなる

 からだ。当時人気のあった若尾文子や山本陽子(注9)や松原智恵子や酒井和歌子のドラマがあまり好きになれなかったスラッシュ君は、同じように都はるみや八代亜紀をあまり好きにはなれなかったが、生々しい大人の女が欲望を抑圧するという矛盾に対する息苦しさをどことなく嗅ぎ取っていたからだろう。

 反対に男性歌手が歌うと、

 イメージが実体から離れて観念的になる=>激しい愛や嫉妬に狂う女の生々しさが薄れる・自分では真似できないような強烈でラジカルな生き方の女性像に対して、嫉妬することなく、ひたすら無邪気に憧れることができる

 のである。おお。これはまさにやおいを読む動機と同じではないか! なるほどスラッシュ君がハマるはずだ。その後、歌手・野坂昭如の登場と共にMY美川憲一ブームは沈静化したが、忘れた頃にCGP歌手が出現し(三善英史、南こうせつ、風、因幡晃、堀江淳、松山千春、上田正樹、BORO、世良正則、安全地帯など)、それぞれ強烈にハマる女友達が現れた思い出は忘れられない(注10)。

 形態はシャンソン=>演歌=>フォーク=>J‐POPと形を変えたが、好きなる構造はそう変わらないのだ。
 
 では外国には同じようなCGPはあるんだろうか? アメリカのカントリーミュージックには多少、男性シンガーが女心を歌うという形態があるそうだが、アメリカ人は「あたしカントリー嫌いだから」と素気無い。日本語のように女言葉、男言葉が明確に分かれていない英語のCGPでは、日本ほど強烈に女性のハートをつかめないのだろう。

 いまや世界中でやおい漫画が愛読されるようになってきたが、男性歌手のCGPに女がハマるという楽しみだけは日本でしか経験できないものなのかもしれない。日本の女に生まれて良かったとスラッシュ君はつくづく思うのであった。


(次号へ続く)

<CGPバカ一代な注>

注1:初期の演出作品、「ピケット・フェンス」でも第1回目からナツメロを引用していた。夫人は女優のミシェル・ファイファー。(

注2:この辺の事情は昔NHKで放送されたドラマスペシャル 『ごめんねコーちゃん』(1990年)(竹下景子が岩谷役)で知った。歌ものドラマに弱いスラッシュ君はこれを見てものすごく感動した。女の友情はホモよりも貴重な存在で、非常にありがたいんである(注3)。来年、奇しくも池畑慎之介(注4)主演で舞台になるという(2003年2月〜3月・コマプロダクション『越路吹雪物語』)。今から楽しみである。(

注3:レズビアンものを「百合もの」などと呼ぶが、海外ファンに間でも「yuri」で通じる。前に紹介したやおい漫画データベースの管理人は百合ものも好きでデータベースにyuriページとしてまとめている。スラッシュ君もせっせとデーターを書き送っているが男性向けレズビアン漫画はなかなかカバーし切れない。数があまりに多いのと成人漫画をたくさんは読まないからだ。なので男性向けレズビアン漫画ファンの方で「この感動の名作を読んでいないとは一生の不覚だ!」的名作をご存知の方は、是非、スラッシュ君宛にご一報いただきたい。必ず買って読みますから。(

注4:1969年に『夜と朝のあいだに』で大ヒットを飛ばしスラッシュ君のクラスでも大人気だったピーターは美川憲一とお互いファンクラブに入り合っていると当時別マのはみ出し欄で読んだ覚えがある。ちょっと嬉しかった。(

注5:
企画物好きな東芝EMIから発売された『ムードコーラススペシャル』(CD6枚組、108曲)がスラッシュ君家にあったので、その中からいくつか挙げてみよう。JASRACに配慮して正確な歌詞の引用は避けた。そのため原曲の良さが損なわれている点はご容赦くだされ。(

・『幸せになってね』(松平直樹とブルーロマン)……男なのだから強く生きなきゃダメと励ます。
・『あなたじゃないの』(沢田あきらとハーバーナイツ)……(別れを言ったのは男のほうなのに、こじ開けようとする)ドアを離して、男らしくしてちょうだいと頼む。
・『死ぬまであなたと』(和田弘とマヒナ・スターズ)……命の限りあなたに尽くしてみたいと訴える。
・『あなた以外はみんなバカ』(ジョーヤ増渕とアフロ・アミーゴス)……(あなたはお利口なんだから)散りたい、摘まれたい女心を察してと哀願する。
・『おんな虫』(ロス・プリモス)……男は飽きっぽいもの。それを嘆いてはいけないと自戒する。
・『母性本能』(森雄二とサザンクロス)……男は子どもみたいな甘えん坊だから憎めないのだと自嘲する。
・『愛のふれあい』(トリオ・ロス・ペペス)……しくじりは誰にもあると男を励ます。
・『花街ブルース』(丸山修とロス・パリエンテス)……駄目な私を知っているのに泣かせたいのねと煽っている。
・『わかればなし』(北条信吾&パープル・レイン)……深刻ぶっている男をあなたらしくないわ、お馬鹿さんと励ます。
・『泣けるうちはいい』(名取忠彦とグリーン・グラス)……男のためならいつでも死ねる覚悟をしていた愚かな自分をあざ笑う。
・『死ぬほど愛して』(松井久とシルバースターズ)……全てを投げ出して尽くすし、悪いところがあれば直すから教えて欲しい。なので捨てないでとすがる。
・『ビューティフルなお別れね』(黒沢明とロス・プリモス)……(男に踏みにじられても)尽くすのが私の生きがいだと訴える。
・『女がひとり』(小原真治とプレイ・ファイブ)……私ばバカだけどあなたはお利口さん。私は死んだものと思って捨ててくださいと覚悟を語る。 

注6:
幻の名盤解放同盟の『藤本卓也作品集』収録。『真赤な夜のブルース』では「あなたのためなら命もいらない」の「いらない」部をしつこいくらいに連呼する。『まぼろしのブルース』では女が「地獄の底へ落ちる私」を男が黙って微笑んでいる(だけ)と恨む。『あなたのブルース』では「あなた」を24回繰り返す。いずれもストーカーされたら怖いタイプの女性たちだ。(

注7:
1971年の曲。作詞は星野哲郎。すっかりはまってしまったスラッシュ君は母親に頼んでコマ劇場の「美川憲一ショー」に連れて行ってもらった(初めてのコンサート体験が美川というもの……)。尾崎紀世彦ファンの母にとっては迷惑な話だが、子どもというのは常に親の期待を裏切るものなのだ。『おんなの朝』の伴奏がフル・オーケストラで流れた途端、スラッシュ君は全ての人に「ありがとう!」と合掌していた。(

注8:女性はいうまでもなく水商売に従事する方であろう。で、男のほう(物産とか商事とかにお勤めのエリートで、当然今までの店への払いは会社の接待費扱い!)に急に縁談かなんかが持ち上がって(専務の娘とか断れない系)、「……な〜んて話があるけど、僕らの関係はこのままだよね」なんて都合のイイ話をノンキにのたまったりする迂闊者だ(なので当然年下で、雰囲気はスタートレック・ディープスペース・ナインのドクター・ベシア。仕事はできるんだけど妙に世間に疎い。まあ、それがまた女心を萌えさせるというか……)。てっきり今の関係が続くものと若い男はたかをくくっていた。

 ところが、ドッコイ。女はピシャッと言い放つんである。「じゃあ、もう私たちのお付き合いはこれきりということで。ひいては手切れ金をいただきたいの」と。若い男は「えええええ!?」である。それこそ鳩が豆鉄砲食らったような顔をして。頭の中は「い、一体いくら払えばいいんだろう……」でいっぱいで、情けないほどオロオロしてしまう。店を出すならウン千万はいるだろう。親に借りるか(ボンボンなので実家もある程度お金がある。パパにねだればそのくらいは出せる。名前が和也とかだったりする)使い込みをするか……と。が、女のほうから言い値でいいと言われ、ものすごくホッとする。手切れ金を要求して、なぜ自分の言い値なのか? なんて全く考えもしないほど、

 若い男はバカだった。

 で、とりあえず200万円程手渡し、「やっぱり彼女もその手の女だったのか」とちょっと胸が痛んだが、すぐにケロリと忘れてしまう。要するに子どもだったわけだ。

 さて、女はなぜ今までの関係を続けようと思わなかったのか? 女のほうもかなりこのバカ男に本気だったんである。早くからこの世界に入って(多分家庭の事情とかで高校にもロクに行けなかっただろうし、その後もいろいろとワケありの人生を送って……)男を見抜くワザには長けているのだろうが、恋というのは、ままならないものだ。

 男を愛しすぎてしまった女は、出世のためとはいえ、愛する男がどこぞのお嬢さんと家庭を持つ、というのに耐えられなかったんである。多分このまま行けば男の家庭を羨んでしまうにちがいない自分の将来が容易に想像できたのだ。

 じゃあ自分は結婚したいのか? というとそうでもない。長年働くしか能が無い自分は家庭的な女性からは程遠く、この男に限らずどんな男とも今更結婚して所帯を設ける気もなかったのだ。だからこの男には今回の良縁を逃してもらいたくなかったのである。それがたとえ政略結婚だとしても……。で、手切れ金要求に及んだというわけだ。

 だから金額などどうでも良かったんである。さて、別れたところで女はどうするか? 社用でよく使われる今の店にはいられないのでとりあえず他店に移るという手もあった。だが女は、この手の水商売で、いわゆる男を手玉に取る人生というのにも、そして男それ自体にもウンザリしていた(手玉に取ったところで好きになるのはこういうバカな男だからだ。そんな男に惚れる女のほうもかなりバカなんである)。蒲田あたりにアパートを借りようと歩いている時に、ちょうど「事務員募集」の張り紙を見かけ、羽田の町工場に身を投じて(失礼な言い方だ)しまうのだった。

 で、結構金勘定とジジ転がしには長けていたので、女はすっかり工場の頑固オヤジに気に入られてしまい、鈴木慶一似の跡取息子(またも年下)の嫁にならないかなどと勧められるのだが、「(昔いろいろあって)もう男はコリゴリですから」なんて断り続けている。

 そこに運命の皮肉が。

 数年後男は、頑固なオヤジに、製作が極めて難しいとある製品(プルトップ缶みたいな日本人ならではの技術が要求される商品)の製作を頼みに、それまで日参しては断られてきたメーカーの若手技術者と共に訪れるのである。男は女を見かけかなり動揺するのだが、今はそれどころではないのでひたすら頼み込むんであるが、しぶるオヤジは変わらない。が、たまたま二人のやりとりを小耳に挟んだ女の口添えで最後は首を縦に振ってしまう。またしても男は女に助けられたのである。

 そして悟るのだ。自分に多少の才覚があってあの時、会社を辞めてベンチャーでも興す気概があったなら共同経営者として今ごろは二人で会社を切り回して忙しいけれどそれなりに充実した毎日が送れていただろうと。今ならそんな生き方もアリだが昭和の頃は難しかった。しがらみに流されて体制の中で生きるしかなかったのだ。

 女のアパートをつきとめ月々いくらで囲えるものなのか性懲りも無く皮算用したりするものの、考えるだけで実行はできない。また逃げられることが分かっているから。結果的に女は、ほろ苦い思いを男に残してしまうのであった。() 

注9:スラッシュ君は、当時母親が見ていた若尾文子や山本陽子のドラマが嫌で嫌で仕方が無かった。しかしながら家に1台しかテレビが無かった時代なので我慢して見ていた。瀬戸内晴海(現、瀬戸内寂聴。子どもの頃、こっそり読ましていただきました。とてもありがたかったです……)や『風と共に去りぬ』を愛読する母親が、なぜこんな耐えるタイプの古風なヒロインを許せるのだろうかと不思議でならなかったよ〜。でも中尾彬主演の昼メロ(『リラ冷えの街』とか)は好きだったな。(

注10:こう書くとスラッシュ君がまるで今はCGPを卒業したかのように思われるかもしれない。が、ちょっと前までは早川義夫の歌うHi−Posiの『身体と歌だけの関係』に、去年はあがた森魚が歌う中森明菜ソングにヤラれていた。特に前者は坂道を自転車をこぎながら歌うのに最適だった。(

[文:スラッシュ君 021105]

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